年末のご挨拶 [独り言]

みなさん、本年も 我が拙きブログ「冷たい廊下」に訪問してくださり、ありがとうございやした。
みなさんの訪問及び温かなコメントのおかげで、本年もブログを更新することが出来やした。

ぼんぼちにとって、今年一番大きな出来事は、映画や文学を頻繁に語り合っていた親友が、あっしと一緒に居た時に 脳梗塞を起こし、一緒に救急車に乗った事でやす。
以降、親友の入院する病院そして老健には、週一のペースで面会に出向きやした。
記事にした折りには、多くのみなさんから親友への励ましのお言葉をいただけ、感謝の限りでやす。
老健面会は、来年春まで続く予定でやす。

ともあれ、今年も秒読みとなりつつありやすね。
今年の記事は、本記事にてシャッターを降ろさせて頂きたく思いやす。
では、みなさん、良いお年を、ガラガラガラ、、、

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甘い物が苦手になった理由が判りました [美容]

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私は、半年ほど前の過去記事「甘い物が苦手になりました」にも綴った通り、40才くらいまでは、それはもう大好きで けれど美容のために我慢していた甘い物全般が、苦手になりました。
40才以降2年くらい前までの間は、微かに甘い物であればたまに食べたいと思い 口にしていましたが、57才になった今では、ガム1枚 あめ玉1個 クッキー1枚も、受け付けなくなりました。

その事を先日、かかりつけのクリニックの先生に打ち明けたところ、先生は「それはストレスが無くなった証拠ですよ。ストレスが溜まると脳というのはブドウ糖を要求しますからね」と微笑まれました。

なるほど、先生のお答え通り、今の私はストレスゼロです。
嫌な人とも人間関係を断ち切れ 好きな事だけをやって生活してゆける 幸せいっぱいの毎日です。

若かった頃ーーー特に 14才から40才くらいまでは、ストレスにアップアップしていて、甘い物が食べたくて食べたくて、しばしば 我慢が出来ない気持ちが コップの水が溢れ出すように制御不可能になり、何かに弾かれた様にケーキを7、8個買いに走っては 帰るや 物凄い勢いで口に押し込み、全部食べてしまった直後に「あぁ!自分は何と美容に悪い事をしてしまったのだろう!」と 自責の念に駆られ、その度に 喉に指を突っこんでは、胃がからっぽになるまで吐き出していました。

加えてその頃は、妙な体調の悪さというのもあり、しょっちゅう 立ちくらみを起したり、具体的な理由はないのに 身体の奥底からウワーーーッ!!と湧き上がってくる激しいイライラがあったり、全然暑くないのに 脇の下だけ異常に汗をかいたりーーーゆったりしている服を着ていると 腕の内側を伝ってポタポタポタポタとしたたり落ちたり していました。

ともあれ、甘い物が苦手になった理由が、喜んで良い理由で、ほっと胸を撫で下ろしています。
同時に、美容の一番の大敵はストレスなのだとも、今更ながらに思い知らされました。

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紫陽花のドライフラワーのリース [写真]

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ブルーの色のよく残っている紫陽花のドライフラワーのクリスマスリース。
近所のカフェの金属製の入り口ドアにて見つけやした。
あっしは、こういう構図をあまり使うことがないので、なんだか自分では 他の人が撮った写真の様に感じてしまうのでやすが、成立したので作品として公開することにしやす。影も計算に入れて撮りやした。
加工は全くしてやせん。

クリスマスといえばーーー
いつだったか、クリスマスも近いある日の喫茶店で、隣のテーブルで18才くらいの青文字系ファッションの女の子が、こんなことを一緒にいる友達に吐いて しきりに憤慨してやした。
「昨日 美容院に行ったら美容師がね、『クリスマスはどう過ごされるんですか〜?』って聞いてくるわけ。アタシ、めっちゃムカついて『いいえっ!何んっにもしませんけどっ!キリスト教徒じゃありませんからっ!』って答えてやったの。アタシのファッションの何見てるんだろーね!アタシ、こんだけミーハーファッションじゃないのにっ!」と。
あっしはそれを聞いて、心の中で思わず笑ってしまいやした。
何故なら、あっしがそのくらいの年齢の時とまるで同じだったから。
美容師さんをはじめ 商店の店員さんの振るクリスマス話なんて、この時節になると天気の話をするのと同じスタンスで どの客にも振る世間話の一つに過ぎないのに。
若い時っていうのは、いちいち真に受けちゃうんでやすよね。
今のあっしなら「いいえ、別に何もしませんね〜」と 笑顔で返せやすけどね。


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物忘れをしない方法ーーーぼんぼちの場合ーーー [独り言]

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私は物忘れが酷かった。
酷かった と軽々しく言えるレベルではなく、生活に支障をきたすほどに すこぶる酷かった。

数年前、大切な知人の講演会があるので 忘れない様にと、カレンダーに書き込んで、前日の晩「明日は講演会に行くのを忘れないぞ!」と独白して床についたのに、次の日になったらカレンダーを見ることすらすっかり頭から抜け落ちていて、「今日は何も用事がない日だから、近所の喫茶店でのんびりくつろごう」とコーヒーをすすっていて、途中でハタ!と思い出し、その足で全力疾走で会場に駆け込み 講演の始まるギリギリ寸前に席についたことがある。

又、家で中華風の炒め物を作ろうと、材料を切り整えフライパンを出したところで、ごま油を切らしていることに気がついたので、小走りで一分足らずのスーパーに向かった。
スーパーに入ると、何を買うべきだったのか、ポカンと忘れている。いくら考えても思い出せない。
何も買わずに帰るのも悪いからと、どうでもいいポテトチップスか何かを一袋求めて帰る。
キッチンに戻って、初めて ごま油を買いに行ったことを思い出す。
それを三度くり返し、四度目にしてようやっと ごま油を手にすることが果たせた。
レジの人は、あまりに何度も慌てふためいてやって来るので 笑っていた。

古い話だと、高校時代。まず丸暗記をしてからでないと始まらない科目がてんで駄目で、すなはち英語などは、単語もスペルもまるきし覚えられなくて、テストの答案用紙の38点の横に 教師に「アナタはカタワです」と書かれたほどである。

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と、三十代ーーー 一度目の結婚をしていた時のことである。
これから共に交流する旦那の友人の名を、いっぺんに数人覚えることとなった。
これが、何度聞いても、誰が何さんだか 聞いた先から忘れてしまう。
一方、冷蔵庫の何処に何をどんな皿に盛って入れたか、スーパーのチラシのどの辺りに何の写真が載っているかは、旦那が忘れてしまって尋ねられると いつもスラスラと答えられた。
旦那は「どうして、冷蔵庫の何処に何が入っているかやチラシの写真はそんなによく覚えているのに、僕の友達の名前は覚えられないの?」と顔をしかめた。

結婚生活何ヶ月か後ーーー
旦那は、こう分析結果を出した。
「ぼんぼちちゃんは、目がカメラのシャッターみたいになってて、見たものは一瞬で 画像として頭の中の画像フォルダにストックされるんだよ。対して、文字や音で入ったものは、文字や音のフォルダが頭の中に無いから ストックされないんだよ」
それ迄、私自身は、物事全般に関して物忘れが酷い としか認識していなかったので、その時は「そうなのかな?」くらいにしか思わなかった。

けれど ごく最近、久しぶりにその元旦那の言葉を思い出し、頭の中の画像フォルダからの取り出しを 意識的にやってみることにした。
例えば、冒頭の事柄だと、講演会の出席を忘れない旨では、講演者のかたのお顔を画像として頭の中のフォルダの一番上にしまっておく。ごま油だと、ごま油の瓶の画像を やはり頭の中のそれの一番上にしまっておくーーーと。

そして 先日、実践してみた。
老健に入所している友人から 差し入れる物を幾つも頼まれた折りに。
大袋入りのチョコレート、スナック菓子、プロテインビスケット、あんぱん。
大袋入りのチョコレートとスナック菓子は、西友の菓子売り場に並んでいるそれらを過去に見た記憶を 頭の画像フォルダの奥から引っ張り出し 一番上に入れ替えておき、プロテインビスケットは、ドラッグストアの健康食品売り場を見た画像を、あんばんは、サンジェルマンのあんぱんの棚の画像を、ずらりと頭の中の画像フォルダの一番上に入れておいた。

当日ーーー
何日か前に送られてきていた友人からのメールに書かれた 差し入れてほしい物一覧を確認せずとも、一つも買い忘れることなく 手渡すことが出来た。

今後はこの方法で、私・ぼんぼちは、物忘れ防止に努めようと考えている。

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青いコーンと青いホース [写真]

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工事現場傍の青いコーンと青いホース。
今回は、ただそれだけの何ということのないリアリズム写真でやす。
意図されて同色で揃えられたのか単なる偶然かは知る由もありやせんが、この一隅だけ青の世界になっていたので、あっしなりに面白味を覚え 撮り収めやした。
加工は、よりメリハリがつく様に、ほんの少ぅしだけコントラストを強めやした。

工事現場で通行人を誘導する係りの方ーーー
最近は、とても親切丁寧でやすね。手を差し伸べて会釈をしながら「ご迷惑をおかけしています。こちらをお通りください」と。
でも あっしが若かった頃は、仏頂面をしてテレ〜ッと突っ立っている人ばかりでやした。
どころか、いつかは、手の甲を上にして揃えた指をヒョイヒョイ ヒョイヒョイと、つまり手招きの動作をする誘導係りの人がいたので そちらに近づいて行ったら、突然、「来るな!来るな!来るな!」と怒鳴られやした。
来るな の動作なら、掌を広げてこちらに向けてグーッと押し出す様にすべきでしょう?と 首を傾げてしまいやした。
ともあれ今は、仏頂面の突っ立ちや そんなトンチンカンな誘導をする人はまずおらず、気持ち良く工事現場脇を通る事が出来る時代になりやした。
誘導係りへの教育が行き届いたようでやすね。
親切丁寧な誘導をしていただけると、こちらも「ご苦労様です」という気持ちもわく というものでやす。


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映画「まわる映写機めぐる人生」を観にゆく [感想文]

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十二月某日ーーー
聖蹟桜ヶ丘駅近くのキノコヤというバーのニ階で、ssブロガー仲間でもある映像記録者の森田恵子さんの監督されたドキュメンタリー映画「まわる映写機めぐる人生」が上映されるというので、一もニもなく出向く。

久しぶりに乗る京王線。
住宅街の木々は たいしゃ色や山吹色に染まり、秋の終末を実感させられる。

私は聖蹟桜ヶ丘駅に降り立った事はまだなく、暖かい日であれば 駅周辺の通りを縦横に散策したかったところだが、本格的に寒い日となってしまったので、駅に隣接するカフェで時間を過ごし小腹を満たし、スマホの地図を片手にキノコヤを目指す。

ーーーが、これが見つからない。
キノコヤが在ると記してあるさくら通りという駅前大通りを三十分も行ったり来たりして、道ゆく人に尋ねたりもする。
三人目に尋ねた美容院の店主さんが ようやっとご存知で、無事 辿り着ける。
大ざっぱな地図しか見ていなかったので、キノコヤはさくら通りから脇道を入った所に在ると判らなかったのだ。

レトロかつモダンな小ぢんまりした店構えの扉を押すと、すでに観映目的のお客さんが三、四人いらっしゃった。
料金を払いドリンクにシメイの赤を選んでいると、背後から「あらあ!ぼんぼちさん!」弾んだ男性のお声がした。
同じくssブロガーで映像作家のsigさんである。
「わぁ!今日はsigさんもいらっしゃるかな?って思ってたんですよ。前もってお声掛けすればよかった」
「いえいえ、それはこちらこそ」
sigさんのお話しで、この時初めて 扉脇の椅子に静かに掛けておられる女性が 森田恵子さんだと判った。
ゆったりとお育ちになったと想像される とても品の良い素敵な女性だった。

上映準備が整い、私達客と森田さんと店員さんの十人ほどは、二階に移動した。

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映画の内容はーーー
戦前から戦後にかけて永年 映写技師をやっていらした方へのインタビューや、ATGが都市部の一部の映画ファンに熱狂的に支持されていた時代 どうすれば都市部ではない地域でも上映出来るか奔走した方の話しや、地方の芸大の映画学科の学生さんが 自身の学校の在る土地でどう市民に映画をテーゼしているかや、現在 あえてフィルム上映に拘っている劇場の若手の技師さんの語りなど、興味深いものばかりだった。

中でも私が気になっていたのは、東京では洋邦問わず 古い作品や自主をかけてくれる映画館は幾つも在るが 地方ではどの様な状況なのだろう?という事だった。
本編を観ると、地方でも そういった方向性で頑張っている劇場が取材されていた。
しかし、上映後にそれを森田さんに喜ばしく伝えると、「そういうことをやってくれている劇場もあるにはあるんですけど、まだまだ地方はとても少ないんです」と 残念そうにお答えになった。

又 非常に共感を覚えずにおれなかったのは、作品ラスト近くで、シネマヴェーラ渋谷の四十代と思しき映写技術者さんが、「最近はパソコンやスマホの小さな画面で一人で映画を観て『映画を観た』と自認している人が多いけれど、映画を観る という行為は、観に行く日に家を出るところから始まって、他の大勢の観客と共有体験をして、その日の天気や匂いまでも観た映画に連結され、家に着くまでが映画鑑賞なのだと思います」と語られていた事だった。

アップテムポのBGMも要所要所に効果的に使われていて、もったりせずに 大変に密度の濃い充実した作品だと感じた。

私は、あくまで素人の趣味というスタンスでだが、長年 映画にまつわる勉強をしたくてしたくて、社会人になって久しくして時間に余裕の出来た時期に、演技の実技 演技論 シナリオ作法の実践 朗読の実技 世界実験映画史 映像理論を それぞれの研究所で学んできたが、映写技師さんのお仕事についてはまるで無知だったので、そういった観点からも、実りある勉強をさせていただいたという観映後感だった。
森田恵子監督に感謝である。

帰路ーーー
sigさんと京王線で調布までご一緒した。
車内でしきりに、今日の森田さんの作品について 過去に作られたsigさんの映画について そして私のブログについて語り合った。

最寄り駅に着くと、商店街のクリスマスイルミネーションが 暖色系に灯っていた。

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剥がれかかった2 [写真]

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剥がれかかった2。
これは、古い駐車場に書かれた目印の数字を真上から撮ったものでやす。
2という字も土台のコンクリートも、古くなったために剥がれかかっているところに面白味を覚えやした。
加工は、剥がれていない部分の黒っぽいコンクリートが青っぽくなるバージョンを選びやした。
駐車場に書かれた2が駐車場に書かれた2であるという説明ではなしに、2というモチーフを使ってグラフィックデザインを作成するのと同じ姿勢で向かいやした。
あっしなりにでやすが、黄色と黒っぽい青が補色の効果で引き締まり、成立したので納得の作品でやす。

最近はあちこちの街で再開発再開発で、街なかが新品のピカピカの物ばかりになりつつありやすね。
街の面白さ 歩き心地の良さって、こういう 古びて朽ちたり剥がれたりした所にあるのに。
全く以て、甚だつまらない方向に突き進んでやすね。
だからあっしは、いつも古い物が遺る街ばかりを選んで散策してやす。


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国分寺にあったレストラン喫茶「アースホール」 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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私が二十七才の時、母親は突然の病で死に、その後何ヶ月かの間、私は仕事らしい仕事もせずに ただぶらぶらと遊んでいた。
毎日 何をしていたかというと、その時住んでいた東京郊外の国立の家から歩いてゆける 隣街の立川や府中や国分寺の喫茶店に くつろぎに行っていたのである。

中でも殊に 私の内に印象深い店が、国分寺にあった「アースホール」である。
アースホールは、住所は国分寺市ではあったが最寄り駅は国立駅で、国立駅北口を出て少し北上し 続いて北東へのだらだら坂をのぼる途中に、まるで アメリカの片田舎のレストハウスのような、木造りだったかコンクリートだったかはもはや記憶におぼろだが、とにかく白いニ階建ての建物だった。

景気が良かった時代だったからか、大抵の店が「いらっしゃいませ」すら言わずに こちらが世間話のひとつも振ろうものなら あからさまに嫌ぁな顔をしてそっぽを向く店員が殆どだった中、アースホールのマスターは大変礼儀正しく 丁寧な接客をしてくださった。 四十代半ばと思われる 長髪に髭でぼうぼうに顔を囲った 二重まぶたの豊かな黒々とした瞳のマスターだった。

私はランチタイム遅くに行くことが多く、しばしばマスターと二人きりになった。
マスターは、最初の何度目かは さしさわりのないありていな話しをしてきたが、ある時、「僕は以前ヒッピーだったんです。それでインドに住んでいたんです」と仰った。
そして、「貴女はお仕事は何をなさっている方なのですか?」真っ直ぐに私に向いた。
「少し前まで画家をやっていましたが、今は何もやってません」と答えると、マスターは目を輝かせ、「そうでしたか!表現者でいらしたのですね!! 実は僕はインドから帰ってしばらくの間、音楽活動をしていたんです」
店の奥からシングルレコードを一枚取り出し、見せてくださった。
ジャケットには、マスターの顔のアップが、夕暮れのような色合いで写され、豊かな黒い瞳がこちらを見つめていた。

そのダイヤローグをきっかけに、マスターは真摯な態度で「表現者同志で語り合いましょう!」と、以降、店を訪れる度に、このテーマについてはどう解釈するか 等、話題を提供し、マスターは音楽の観点から、私は美術のそれから、理論的にかつ穏やかに論じ合った。 非常に実のある有意義な時間だった。

又 いつかのある日ーーー
ランチメニューが完売したのか、マスターがまかないを二人分作ってくださり、食べさせていただいたこともあった。
カシミール地方のカレーをマスター流にアレンジした というカレーだった。
噛む度にスパイスが弾け心地よく、プレーンヨーグルトが乗っているのも面白いな と思った。

それ以前の時代は日本でカレーというと、イギリス経由で入って来た洋食としてのカレーか、蕎麦屋か食堂のカレーか、家庭のカレーか、インド人が経営している本場モノのインドカレーかのいずれしか無かったが、日本人が直接インドに行き 日本人の舌に合う様にアレンジしたカレーというのは、この時代には、元ヒッピーが所々で営っていた喫茶店やカレー屋だけだったと 私は記憶している。
加えてこれは私の分析であるが、現在そこここのカフェで「ウチのオリジナルカレーです!」と推されているカレーの源流というのは、このアースホールのまかないカレーに代表される様な、元ヒッピーの作るカレーであったと 結論づけずにはおれない。

何ヶ月か後ーーー
私は国立のカクテルラウンジでアルバイトを始め 起きる時間が夕方になったので、アースホールから足が遠のいてしまった。

時は経ち、三十八才になった時ーーー
私は国立の街を離れることになった。
引っ越しの前、三、四ヶ月は再び何もしないでぶらぶらしている期間が出来たので、懐かしさと期待と諦めとを軽く握った拳に込め 国立駅北口・北東へのだらだら坂をのぼったが、あの白い建物は、跡形もなく無くなっていた。

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新宿の名曲喫茶「らんぶる」のシャンデリア [写真]

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新宿・東口の中央通りに在る名曲喫茶「らんぶる」のシャンデリアでやす。
広々とした地下席に、それはもう見事なアイアンのシャンデリアが二つ 下がってやす。
喫茶店マニアであるぼんぼちの お気に入りの喫茶店の中でも特に好きな店の大好きなアイテムでやす。
しょっちゅう、このシャンデリアを見上げて心休めるために、新宿まで出向いてやす。
今回は、シャンデリアのほぼ真下に近い席に座ったので、こんなアングルで撮ってみやした。

ところで、画像加工について明るいかたの中にはお気づきのかたがおられるかも知れやせんがーーー
今回の写真の加工は、今まで使っていた画像加工ソフトvixではありやせん。
何故かというと、パソコンがついにオシャカになってしまい、したがってvixは使えなくなり、タブレットに、ToolWiz Photosと画像の編集屋さんという二つの画像加工アプリをインストールして、タブレットで画像加工をすることにしたからでやす。
二つインストールした理由は、前者は加工のバージョンは非常に多彩にあるのでやすが、何故だかリサイズに関しては、拡大は出来ても縮小は出来ないのでやす。
なので、まず前者のアプリで加工して、その後 後者で縮小して使ってゆくことにしやした。

まだvix時代の未公開画像が管理頁に幾つもストックしてあることと、新たなアプリで加工した画像が少ないことから、しばらくは vix時代と新たなアプリで加工した画像と両方交えて公開してゆき、徐々に新たなアプリでの画像を増やし、いずれ 新たなアプリの加工画像ばかりにする予定でやす。

ToolWiz Photos、縮小こそ出来ないけれど、加工に関してはvixより遥かに多彩で、ちなみに今回の作品は、アンティーク感を強く打ち出したかったので、ヴィンテージという項目の中の 白黒で一番コントラストが強いバージョンを選びやした。あっしなりにでやすが、納得の仕上がりでやす。
来年は、ぼんぼちがぼんぼちであるということを前面に出さずに 一素材と徹し、徹底的にアーティスティックなセルフポートレートなども作れれば、、、と考えてやす。


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「バナナはおやつに入るか入らないか」の思ひ出 [作文]

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「先生! バナナはおやつに入りますか?」
遠足の事前説明時に 必ず出た質問でやすね。
あっしの記憶では「学校側の決まりとしては、バナナはおやつに入りません。食事の一つです。」ということでやした。
でも、バナナは貴重な食べ物でみんなの大好物だったので、勿体無くて おやつまで取っておきたくて仕方がないのでやした。
けれどセンパイ達は揃って「バナナは昼めし時に食ってしまえ。そうしないと後で泣きをみるぞ!」と 口をとがらせたのでやした。
あっしは、自分が遠足に参加し、初めてセンパイ達の忠告が痛いほど身にしみて解りやした。
ーーーということで、今日は、そのあたりの思ひ出話しを、みなさんにだけそっと 打ち明けたいと思いやす。

あれは、、、、、あっしが前世でゴリラだった時のことでやす。
ジャングルのゴリラ中学の二年生だった時のことでやす。
あっしの通っていた中学は、ジャングルでも西の方、、、そう、人間界の東京でいうと、ちょうど八王子の様な所でやした。
普段は遠征することもなく、八王子内に相当する地域か、行っても 川を越えてすぐの立川にあたる近場で、タラリタラリとイキがって遊んでやした。

遠足は、まず足を運ぶことのない海辺だと発表がありやした。
そう、、、関東でいうと、ちょうど江ノ島のような、想像するだけで心の浮き立つ ゴリラ界でイキがっている若者の大人気スポットの海辺でやした。

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当日ーーー
あっしら二年一同は、日常的に食している名もない果物に加え 貴重でめったに口にすることのできないバナナを一本づつ持参し「なんでセンパイ達はあんな忠告したんだろ? やっぱバナナはおやつまで残しておきたいよな」と 口々に言い合いながら、江ノ島に相当する目的地に向かいやした。
なお、おやつはアリンコ五百匹以内だったので、それも大きめの葉っぱに包んで持って行ったのは言うまでもありやせん。

海辺に着き、昼食となりやした。
クラス一のクソ真面目な同級生は、教師の指示通りにその時バナナを食べてやしたが、あっしらの殆どは「アリンコなんかよりバナナのほうが超絶旨いんだから、おやつに取っておこうぜ!」と 大切にしまっておりやした。

昼食が了り、自由行動時間となりやした。
と! 向こうから、あっしらに負けず劣らずのイキがった あっしらと同じくらいの年齢とおぼしきゴリラの一群が、タラリタラリとやって来るではありやせんか!
聞こえてくる会話から そいつらは、ジャングルの東の果て、東京でいうと足立区綾瀬に相当する地域のゴリラ中学の者達だということが判りやした。

「けっ! ダッセー野郎達だぜ!」
すれ違いざま あっしらの仲間の一頭が、独白してツバを吐きやした。
すると、「ぁあっ!? テメーら、どこ中だ!」綾瀬に相当するゴリラ中学の奴らは振り返り、ぞろりとあっしらを囲み、ただでさえ寄っている眉間のしわをこれでもかというくらいに寄せて 睨みをきかせやした。
あっしらだって負けてはおれやせん。
奴ら以上に眉間にしわを寄せ奴らに近づき、互いの荒い鼻息がかかるくらいまで接近し、ほぼ一頭に一頭の割り合いで睨み合いやした。
ドンドンドンドンドンドン、、、、!!!
奴らの中の一頭が、両手で交互に胸を強く叩き、ドラミングをしやした。
乱闘開始の合図でやす!
あっしらは、素手で殴ったり蹴りを入れたり、午前中のお土産をゲットする時間にもぎ取っていた、、、そう、人間の世界でいうと ちょうど木刀のような太さと長さの木の棒で叩いたりして、ボコボコにやり合いやした。
近くにいた家族連れのゴリラ達は、「怖いわねぇ」「大きくなっても あんなふうになったらお終いだからね」などと 遠巻きに眺めてやした。

「こらーーーーーーっっっ!!!」
あっしらのゴリラ中学の腕が丸太ほどに太い 木渡りの教師が止めに入り、あっしらより遥かに強靭な力で以て、あっしらはどちらが勝ったとも負けたとも決着のつかぬまま、ちりぢりにされてしまいやした。
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結果、あっしらは砂浜に正座させられ、
「お前達、まだバナナを食べていないな! 全員バナナ没収だーっ!!」
あっしらが大の楽しみにしていたバナナを、全部奪い取ってしまいやした。
あっしはこの時初めて、センパイ達の忠告が理解できやした。
加えて「やっぱ センパイ達の仰ることは絶対だ!」と よりセンパイ達を尊敬するようになりやした。

次の日ーーー
「あー、お母さんが持たせてくれたバナナ、美味しかったなー」
クソ真面目な同級生が、これみよがしに横目で発しやした。
普段は あっしらに鼻もひっかけてもらえなかったくせに。

ゴリラ中学を卒業して何年か後ーーー
クソ真面目な同級生は人間にスカウトされて、上野動物園という安心安全・健康管理まで至れり尽くせりのテーマパークのキャストに選ばれ、永久就職をした、、、と 風の便りで聞きやした。

そいつは今は、バナナは日に一房以上、のみならず、リンゴとかミカンとかキーウィフルーツだとかいう あっしらが食べたことも見たこともないような美味しい果物を たらふく口にしているのだーーーと。

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