生っているもの・作っているところを見ると気持ちが悪くて食べられないという世代 [独り言]

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実りの秋である。
柿 葡萄 梨 栗 アケビ 銀杏 南瓜、、、
採ってそのままガブリと、あるいは相応の調理をしたらさぞかし美味しいだろうなと 舌舐めずりをせずにはおれないものが、次々と生っている。
私なぞは、それらのものが生っているのを目にするだけでも心が浮き立ち、それが採って良い場所なら 迷わず頂戴している。

しかしーーー
ある二十代半ばのOLさんは、こう言っていた。
「アタシ、木に生っている果物とか 地面から生えてる野菜とかって、そういうの見ちゃうと 気持ちが悪くて食べられないんです。スーパーや八百屋で売られてるのはフツーに食べられるんですけど」
彼女の実家は東京都だけれど、都下の郊外も郊外で、畑がそこここに在る土地である。
私は驚愕した。
「何と想像を絶する価値基準なのだろう?!」と。

又 別の日ーーー
二十代前半の役者志望の男の子と デパ地下を歩いていたら、彼は如何にも嫌悪をあらわにした表情で こう吐いた。
「なんで、弁当でも菓子でも ガラス張りにしてわざわざ作ってるとこ見せるんでしょうね? あんなとこ見せられたら食う気しなくなりますよね!」
皆誰でもそうでしょ?と言はむばかりの口ぶりだった。
この時も、私は余りの価値観のズレに、目をむかない訳にはいかなかった。

ーーーそういえば
以前 私が住んでいた家の外壁の外側に、大きな桑の木が生えており、季節になると 必ず 鈴なりに実をつけていた。
けれど、その道は小学校の通学路であったにも関わらず、採って食べる子供は一人もおらず、「壁の外側なんだから 遠慮しないで採って食べればいいのに、、、」と首を傾げつつ、私一人で唇をどどめ色に染めて つまんでは口に運んでいた。

あくまで、最近の若い世代や子供達の全員が こういった奇妙な潔癖性を持っているとは限らないとは思うが、明らかに 私の若い頃にはあり得なかった感覚である。
「食べ物」というものは、植物であっても「命あるもの」を、そのまま あるいは人の手で加工して それを生きる糧にするのが「食」である。
そういう 今までなら説明不要の当たり前の認識が、果てしなく薄くなってきているように感じられてならない。
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