金魚の釣り堀の思ひ出 [独り言]

東京郊外の国立の町に住んでいた 小学三、四年の頃ーーー
私は夏休みの宿題はさっさと片付けてしまう気質だったので、夏休み最終週のこの時期になると やることがなくなってしまうのがお決まりだった。
スポーツは嫌いだったので 市民プールに行くことなどありえなかったし、自宅の向いの空地の秘密基地は 十二分に確認を完了していたし、気まぐれのホットケーキやクッキー作りも飽きてしまっていたし、、、

そこで、遊びに出向いていたのが、釣り堀だった。
あの時代は、どこの小さな町にも三本立ての映画館が在ったのと同じ感覚で、どこの町にも当たり前のように 個人経営の小さな釣り堀が在ったように記憶している。
国立には、自宅から駅に向かうちょうど中間辺りの位置ーーー旭通りの電信電話局(現・NTT)の裏に 一軒在った。
私は、唯一の子分である四才年下の弟を従えて、夏休み最終週の五、六日を、その釣り堀通いに費やした。

確かーーー
堀は二つあり、屋外が大人用のへらぶなの釣り堀、屋内が子供向けの金魚の釣り堀だった。
餌は小さな芋虫で、私は触るのが苦手で 弟に「しょうがねえなあ」と口をとがらせられながら 針に付けてもらっていた。
私はよく 針が引いても捕り逃がしてしまうことが多く、釣り堀屋のおじさんに「お姉ちゃん、針が引いたら『ん!』と一息待って、それからグッと上げるんだよ」とアドバイスをいただいたりしていた。
どんな大きさのどんな色・柄の金魚が釣れるか予測が出来なかっただけに、釣り上げた時は思わず「わあ!」と 堀中に歓喜の声を響かせていた。

空気を入れてパンパンに膨らませた袋のとりどりの戦利品を抱え帰り、家の水槽に放った。
針に傷ついていたためだろう すぐに死んでしまうものもいたが、なかなか長生きしてくれたヤツもいた。

国立の釣り堀は、私が年を重ねて釣り堀に行かなくなったのを見計らったが如くに 閉堀してしまった。
他所の町のそれらも同じく、次々と無くなってしまった。
近年まで頑張っていた 三軒茶屋や阿佐ヶ谷の釣り堀も、惜しまれつつ消えてしまった。

ーーーが、私の知る限り、都内でも今だに賑わいの衰えない釣り堀が 一つ在る。
市ヶ谷の釣り堀である。
中央線で北側を眺めながら通り過ぎる度に「よしよし!」と頷き、無意識にも口角あがり 一人微笑んでしまう。
あの堀は何を釣らせてくれるのか解らないが、これからも末永く遺り続けてほしいと密かに願っている。
あの釣り堀が無くなってしまったら、私の金魚の釣り堀の拙い思ひ出も 消滅してしまうように思えてならないのだ。

金魚.jpg


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