私が非具象写真を公開する理由 [画家時代]
今、私は当ブログで、ニ記事に一記事は写真作品を公開しています。
私のブログを以前からご覧になっているかたはお解りのことと思いますが、私の写真作品は セルフポートレートを除いては、ほぼ モチーフに形を借りただけのデザイン的作品だったり 白黒ハイコントラストの表面的な美しさではないものを追求した作品ばかりです。
「ここにこういう建物があります」「花がキレイでした!」といったような直接的・具体的な説明写真は 殆どありません。
何故、私は、このような方向性の写真ばかりを 撮り 公開しているかというとーーー
私は、しばしば過去記事にて綴らせていただいてるように、若い頃、家庭の事情で 画家をやって母親を養わなければなりませんでした。
生活収入を得るための画業でしたから、月々 ある一定以上の金額は何が何でも稼がねばならず、そのためには 画商に指示された「売れ線」の画風の作品を描かなければなりませんでした。
画商に指示された売れ線の画風ーーー
それは、明度の高いバックに赤やオレンジ色や黄色の花が当たり前の生け方で生けられていたり リンゴやレモンが何のひねりもなく盛られていたりといった いわゆる「具象王道」の画風でした。
私はそういった画風が ヘドが出るほど嫌いでした。
ーーーそもそも絵を描くことからして好きだったわけではなく、母親の意志で美術の中高に入れられ、美術学校の学生は絵を描くことが当たり前の勉強なので 描いていただけでした。
卒業したら、ファッションの専門学校に進み アングラ演劇の衣装作りをするのが夢でした。
ですから、ヘドが出るほど嫌いな画風を来る日も来る日も描かねばならないことは大変な苦痛で、しかも個展の時は、客の夢を壊してはいけないという理由から「私が好きで表現した世界を解っていただけて嬉しいです!」と 微笑む演技をせねばならず、そのことも輪をかけて苦痛でした。
今と違いネットが無かったので 本音を吐き出せる場もなく、高校時代の学友に電話をしても「画家になったアナタは もう私達とは別世界の住人だから」と 友人関係も切られてしまいました。
くだをまきに行ける行きつけの飲み屋もなく、もとより 寝る間も削って描かなければならなかったので そんな時間もなく、いくら稼いでも「まだ足りない!」と 自分の自由になるお金も母親から与えてもらえず、ストレスが 破裂寸前の風船の如くに 膨らみに膨らんでいた毎日でした。
ーーーよく、元アイドルの女優さんが、アイドル時代は、自分の意志などまるでないがしろにされ、寝る間もなく食べる間もなく 大嫌いなフリフリの衣装を着せられて 歌いたくもない歌を歌わされ、好きな色から好きな食べ物まで どう答えなければいけないか プロダクションに決められ とても苦痛だった、と打ち明けられているインタビューを聞いたりしますが、あれと同じようなものです。
ですから 私は今、絵画と写真というジャンルの違いこそありますが、あの頃描かなければならなかった画風と真逆の非具象の写真を撮り 公開することで「あんな仕事やりたくなかったんだーっ!」と叫び 人生の帳尻を合わせているのです。
人生というものは、振り子がマイナスの方向に30度傾いたら その次はプラスに30度傾かなければ、精神の帳尻が合わず、心の膿が抜けずに 気持ちが「チャラ」にならないのです。
ブログを始め、私はこれまでに 300以上の非具象写真作品を公開してきました。
私の心の膿はすっかり絞り出され 画家時代の辛さはチャラになりました。
これからも、ブログを続けてゆくかぎりは、このペースで 非具象写真を公開し続け、ますますプラスに傾斜させてゆくつもりです。
私のブログを以前からご覧になっているかたはお解りのことと思いますが、私の写真作品は セルフポートレートを除いては、ほぼ モチーフに形を借りただけのデザイン的作品だったり 白黒ハイコントラストの表面的な美しさではないものを追求した作品ばかりです。
「ここにこういう建物があります」「花がキレイでした!」といったような直接的・具体的な説明写真は 殆どありません。
何故、私は、このような方向性の写真ばかりを 撮り 公開しているかというとーーー
私は、しばしば過去記事にて綴らせていただいてるように、若い頃、家庭の事情で 画家をやって母親を養わなければなりませんでした。
生活収入を得るための画業でしたから、月々 ある一定以上の金額は何が何でも稼がねばならず、そのためには 画商に指示された「売れ線」の画風の作品を描かなければなりませんでした。
画商に指示された売れ線の画風ーーー
それは、明度の高いバックに赤やオレンジ色や黄色の花が当たり前の生け方で生けられていたり リンゴやレモンが何のひねりもなく盛られていたりといった いわゆる「具象王道」の画風でした。
私はそういった画風が ヘドが出るほど嫌いでした。
ーーーそもそも絵を描くことからして好きだったわけではなく、母親の意志で美術の中高に入れられ、美術学校の学生は絵を描くことが当たり前の勉強なので 描いていただけでした。
卒業したら、ファッションの専門学校に進み アングラ演劇の衣装作りをするのが夢でした。
ですから、ヘドが出るほど嫌いな画風を来る日も来る日も描かねばならないことは大変な苦痛で、しかも個展の時は、客の夢を壊してはいけないという理由から「私が好きで表現した世界を解っていただけて嬉しいです!」と 微笑む演技をせねばならず、そのことも輪をかけて苦痛でした。
今と違いネットが無かったので 本音を吐き出せる場もなく、高校時代の学友に電話をしても「画家になったアナタは もう私達とは別世界の住人だから」と 友人関係も切られてしまいました。
くだをまきに行ける行きつけの飲み屋もなく、もとより 寝る間も削って描かなければならなかったので そんな時間もなく、いくら稼いでも「まだ足りない!」と 自分の自由になるお金も母親から与えてもらえず、ストレスが 破裂寸前の風船の如くに 膨らみに膨らんでいた毎日でした。
ーーーよく、元アイドルの女優さんが、アイドル時代は、自分の意志などまるでないがしろにされ、寝る間もなく食べる間もなく 大嫌いなフリフリの衣装を着せられて 歌いたくもない歌を歌わされ、好きな色から好きな食べ物まで どう答えなければいけないか プロダクションに決められ とても苦痛だった、と打ち明けられているインタビューを聞いたりしますが、あれと同じようなものです。
ですから 私は今、絵画と写真というジャンルの違いこそありますが、あの頃描かなければならなかった画風と真逆の非具象の写真を撮り 公開することで「あんな仕事やりたくなかったんだーっ!」と叫び 人生の帳尻を合わせているのです。
人生というものは、振り子がマイナスの方向に30度傾いたら その次はプラスに30度傾かなければ、精神の帳尻が合わず、心の膿が抜けずに 気持ちが「チャラ」にならないのです。
ブログを始め、私はこれまでに 300以上の非具象写真作品を公開してきました。
私の心の膿はすっかり絞り出され 画家時代の辛さはチャラになりました。
これからも、ブログを続けてゆくかぎりは、このペースで 非具象写真を公開し続け、ますますプラスに傾斜させてゆくつもりです。