三島由紀夫の自決の真相についての主観的な見解と感情 [感想文]

古書店街を歩くと、カフカと並んで三島由紀夫の研究書が溢れているのが、いやがおうにも目に留まる。
手に取りパラリパラリとやると、内容は、彼の自決の真相を追究したものが圧倒的に多いことが判る。
それだけ彼の自決は、いまだにあれこれと憶測が飛び交い、まるで理解不能だと首をひねったり 気が狂ったのではないかと結論づける知識人も少なくないようである。

しかしーーー
私は、三島が死を選んだ本当の理由が明確に理解が出来るし、そういう行為に及ばずにおれなかった気持ちも痛いくらいに解る。

彼は、表向きは、国を憂いて云々 大義が云々、、、と熱弁していたが、あれは、最も格好良く 称賛を浴びつつ命を了えるための理由付けであったと思う。三島ならではの、ええかっこしいのパフォーマンスであったと思う。

薔薇.JPG本心から皆に解ってほしかったら、一体全体何故、芝居の演出まで手掛けた人間が、市ヶ谷駐屯地で、垂れ幕にチマチマとした小さくて読めない字で訴え文を書き 性能の良いマイクを使わずに届かぬ声を張り上げたのだろう?
あれは、読めてしまっては 聴き取れてしまっては いけなかったのである。
皆が納得して「そうだ!三島の説く通りだ!おー!」となってはいけなかったのである。
つまり、全ては、三島が自身のために書き上げた脚本通りに事が運んでくれたのである。
彼は、その計画が見破られないために、何年も前から周到に、裏付けとなる言動をし 予算も貯めていたのである。

本当の理由はーーー
せっかく多大な努力で手に入れた肉体美が老いによって失われてしまう恐怖と あらゆるテーマであらゆるシノプシスで余りにも幾多の作品を生み出し続けたことで自身の頭蓋が涸れてしまったことである。

元々美しい人なら 老いによる美しさの消失を受け入れられるかも知れないが、三島は、陽の当たらない屋根裏部屋で育ったエノキダケのような貧弱な容姿だった。
その頃のコンプレックス・屈辱感は、尋常ならざるものがあったと察する。
そして、血反吐を吐くほどの努力により、筋肉隆々の肉体美を我が物とするや、胸元を開けたシャツに金のペンダントといったファッションには留まらず、浅草マルベル堂でプロマイドを作ったり 細江英公に薔薇1.JPG写真集「薔薇刑」を撮ってもらったりと、美しさの天国を 花畑を駆け巡るが如くに満喫するのである。
それが「老い」という どうにもならない理由で失われ、肉体美天国の甘露に浸れなくなるのは、彼にとって「死んだほうがよっぽどマシ」なほどの恐怖だったのである。

頭蓋が涸れてしまうことも同様に、彼にとっては「死んだほうがよっぽどマシ」な地獄への転落なわけである。
安部公房氏は見抜いていた側の一人で「彼は書きたいことがなくなってしまったんだよ。作家にとって書くことがなくなるほど辛いことはないからね」と 話している。

多くの反論を百も承知の上で、あくまで私個人の主観的感情を述べさせていただくとーーー
三島の自死は、決して不幸な死ではなかったと思う。
醜く老いた肉体や 書くことがなくなった元作家でいながら生きながらえるより よほど幸せだったのだから。
私は自死というものが全て 不幸のどん底の果てのものだとは限らないと考えている。
三島の母上も、彼の死を知った時、冷静にこう発したという。
「あの子はやりたいことをやったんですよ」ーーーと。


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