「寂しくなかったですか?」 [父]

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よく話しの流れで「私の父は複数人愛人さんを囲っていて 私の家である本宅に帰るのは二ヶ月に一度くらいでした」と言うと、時々「寂しくなかったですか?」と たずねてくる人がいる。
そのたずねかた・そこに見える感情が「寂しかったのか寂しくなかったのか かいもく想像がつかないから教えて?」というのならいっこうに構わない。いくらでもたずねてほしいと思う。
そして「ぜんっぜん寂しくなかったですよ。だって、私にとってはそれが当たり前だったから」と 笑顔で答える。

しかし、たずねてくる人の中には 以下の感情が見え見えの輩が少なからずいるのである。
「寂しかったよねー!寂しくなかったわけないよねー!愛人囲うなんて酷いお父さんだよねー!」と言わんばかりの 眉をハの字にした いかにも哀れな者を見おろすような「寂しくなかったんですかあっ?」。
何?その決めつけ!愛人囲うことがさも悪いような 家に帰らないことが絶対的にいけないような、一方方向からのかたくなな考え。
どういうお父さんがいいお父さんかどうかは、その子供本人が決めることだろうが。

そういう感情で以て「寂しくなかったんですかあっ?」と迫ってくる人には、売り言葉に買い言葉で こう返してやりたくなる。
「ということは、アナタのお父さんは毎日家に帰ってきてたんですね。愛人の一人も囲えなかった 甲斐性無しのお父さんなんて、情けなくなかったですかあっ?」ーーーと。

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月下美人の花 [写真]

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近所の歯医者さんの玄関先に置かれていた鉢の月下美人を撮り帰り、PCでネガ加工したものでやす。
暗い住宅街の中で 路ゆく人にも花が良く観えるようにと、玄関表の蛍光灯が灯されてやした。
蛍光灯下なので、花が白ではなく黄色に観えていたために、加工したら補色のブルーになりやした。
淡いブルーの濃淡の中にも柔らかな感じで緩急がついてくれたので、これがこの写真の個性と捉え、あえてコントラストは強めずに完成としやした。

ところで月下美人の花って、食べられるのだそうでやすね。サラダやポン酢和えや酢味噌和えなどで。
召し上がったことのあるかた、おられやすか?
たとえ格別に美味ではなかったとしても、こんなに美しい花を食べるなんて、なんだかそれだけでロマンチックな気分になれそうでやすね。



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生まれて初めて買ったレコードーーー「危険なふたり」 [音楽雑記]

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みなさんは、生まれて初めて買ったレコードって何でやすか?
あっし・ぼんぼちは、ジュリーの「危険なふたり」でやす。

ーーーあれは、あっしが小学五年の時でやした。
あっしは幼い頃から、小柄できゃしゃな体型でネズミさんみたいなお顔立ちの男性がタイプだったので、当時は、あいざき進也さんがその条件にピタリと当てはまっていて 100%好きなルックスだったのでやすが、衣装のデザインや 楽曲や いかにもアイドルですよ!という演出が好きになれなかったために、ファンにはなれやせんでやした。

で、衣装 楽曲 ルックス イメージ作りの演出など、すべての要素の総合得点が、あっしがファンになれる得点に達していたのがジュリーでやした。
その頃のジュリーは、アイドル タイガースを卒業し PYGを経てピンになり、もうアイドルとは呼ばせない!大人の女性のファンを獲得するんだ!といった戦略の真っ只中でやした。
不倫をテーマとした楽曲を何曲も出し、その何曲目かに発売されたのが「危険なふたり」でやした。

家庭のある年上の女性に本気で恋する若い青年。
青年側からは彼女が遊びであることなどまるで見えずに 自分と同じ気持ちだと信じてやまない。
そんな馬車馬的な青年の感情を 当時の大人気作詞家・安井かずみさんが見事に描ききった秀逸な歌詞でやす。
小五のあっしには この歌詞の意味など解かろう筈もなく「なんだか訳の解らない変な詞だなあ」と思いやした。
けれど、東海林修さんの、ちょっとだけロックを彷彿とさせる軽妙なアレンジと 加瀬邦彦さんの、単純でありながらもノリのいいメジャーコードのメロディーには、理屈抜きに惹かれるものがありやした。
それを、ジュリーが、大きな造花を胸に付けたスーツで くねくねと中性的に動き 柔らかに歌う様は、あっしの中で非常に高い得点となりやした。
それで、「危険なふたり」を、自分のお小遣いの中から 強い意志で以てレコード屋さんに出向いて求めた というわけでやす。

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こうして熱心なジュリーファンになったあっしは、ジュリーのどこに特に高得点を入れずにはおれなかったかというと、「退廃的な雰囲気」でやした。
朽ちてゆくもの 陽の当たらないもの 湿ったもの に惹かれてやまないと事あるごとに仰っていた TBS(その後は独立されてカノックス)プロデューサーであった久世光彦さんや 反体制を通底するテーマとして尋常ならざる負のエネルギーで表現されていたゴジさん(長谷川和彦監督)らと組んだ仕事や レトロ・退廃のイメージを得意とする堀切ミロさんのスタイリングが、ジュリーという素材を「完璧な生きる退廃美」として創り出していやした。
中でも あっしは、堀切ミロさんのスタイリングは、将来 自分もこんなスタイリストになりたいと憧れ続けるほどに好きで、ミロさんがお仕事なさった雑誌は何冊も所有していやした。

けれどーーー
そのうちジュリーは、久世さんともゴジさんとも仕事を共にしないようになり、スタイリストも堀切ミロさんから早川タケジさんに替わってしまいやした。
早川タケジさんのスタイリングは、落下傘を背負った真っ赤な衣装の「TOKIO」に代表されるポップな世界観でやす。
よって、ジュリーのイメージそのものも、退廃からポップへと変貌してしまいやした。
あっしは勿論 早川さんも素晴らしいスタイリスト(本業はイラストレーター)だと認めてはいやすが、好き嫌いで言うと ポップな方向性は好きにはなれないので、あっしの中で ジュリーの好きになれる重要な要素が0点になってしまったので、ジュリーファンではいられなくなってしまいやした。

ネットもなく「好きになれる もの・人物」が滅多に見つからず、日々 精神的に飢餓状態であった十代の頃、「危険なふたり」で熱心なファンになれた退廃的だった時代のジュリーは、あっしの精神的飢餓を埋め合わせてくれた 数少ない貴重な存在だったと、当時のジュリーや それを創り出したブレーン一同様に感謝していやす。

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川魚の看板 [写真]

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もうずいぶん前に撮ったものなので、どこで撮ったのかまるで記憶にないのでやすが、とにかく 川魚の看板でやす。
構図がキマったので、PCで黄色のトーンをかけて作品として完成させ、いつか公開しようとストックしていたものでやす。
ちょうど 川魚のシーズン到来となったので、このタイミングでお披露目させていただきやす。

川魚、みなさんお好きでやすか?
あっしは、花見の時の記事にも綴らせていただいたように、川魚には目がありやせん。
花見の屋台で食べた鮎は、時期からして明らかに冷凍モノで、まあ 気分八割味二割ってとこでやしたが、冷凍ではない川魚が食べられるようになった今、「ここぞ!」とばかりに食べまくってやす。

JR中野駅北口の個人経営の居酒屋に「赤ひょうたん」という店があるのでやすが、そこは定番メニューの他に 季節のメニューも四季折々で登場しやす。
今初夏、季節メニューに「鮎の塩焼き」が出てから毎週通い、先日で三度頬張りやした。
お手頃なお値段からして天然モノではないのでやしょうけれど、やはり冷凍モノとは雲泥の差でやす。
川魚独特の淡い香りと味を十二分に堪能したいので、醤油もレモン汁もかけずにいただいてやす。


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映画マニアあるある15 [映画・演劇雑記]

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私は以前は、自分のことを「いわゆる一般的な映画好きの一人」だと自覚していました。
けれど、「映画好き」と自称する人と映画にまつわる話をすると、何一つとして話が噛み合わないのです。ーーー正確に言うと、私の言っている話の内容が相手に通じない、相手が理解が出来ないのです。
そして何年か前に、某大学の映画研究会を経て 映画関係の仕事をしていた人と知り合いになったところ、話がツーカーで、大の映画友達になりました。
よって私は、世間の基準からすると、「一般的な映画好き」ではなく「映画マニア」なのだということに気づきました。
ということで今回は、私のような映画マニア同士の会話、あるある15を列挙したいと思います。


1 映画館のことを「小屋」と呼ぶ。

2 カメラのことを「キャメラ」と呼ぶ。

3 監督を、苗字+さん で呼ぶ。 ただし、長谷川和彦監督に限っては「長谷川さん」ではなく「ゴジ」または「ゴジさん」と呼ぶ。

4 唐突に「黒沢さんは、、、」と相手が発した場合、すかさず「明?清?どっち?」と突っ込む。(黒沢明監督ですか?黒沢清監督ですか?という意)

5 「小津さん(小津安二郎監督)が好き」と言われたら、「古い映画が好きなんですね」ではなく「メジャーどころが好きなんですね」と返す。

6 シネコンで上映される様な類いの映画のことを「商業映画」と呼ぶ。 または単に「商業」とも。

7 ピンク映画とにっかつロマンポルノの違いを解っている。(前者はジャンルで後者はブランドです) そして、ピンク映画もにっかつロマンポルノも、恥ずかしい映画ではなく れっきとした作品だと認識しているので、喫茶店などで 普通の大きさの声でそれらについて真面目に語る。 そういった時、ピンク映画のことを「ピンク」と略して言うことが多い。

8 助監督のことを「ジョカン」と略して言うことも多い。

9 脚本のことを「ホン」と略して言うことも多い。

10 長台詞のことを「ナガゼリ」と略して言うことも多い。

11 それでいて、アニメは「アニメーション」と略さないで言う。

12 一般的な映画好きが「アニメを観た」と言ったら「何アニメーション?」と質問する。

13 アニメーションの技法を、セル系アニメーション CGアニメーション以外にも5つ以上言える。 例ーーーオブジェクトアニメーション ドローイングアニメーション カットアウトアニメーション クレイアニメーション パペットアニメーション 等。

14 テレビや雑誌にたくさん出ていることを「露出が高い」と言う。 例ーーー「塚本さん(塚本晋也監督)は、初期の頃から露出高かったですよね」等。

15 作品全編 またはシークエンス またはシーン またはショットの「長さ」のことを「尺」と呼ぶ。 例ーーー「冒頭のシークエンスは無駄に尺とってて水っぽかったね」等。


だから、映画マニア同士が話しているのを一般的な映画好きや特別映画に関心がない人が傍で聞いても、たとえそれが、たった今 その人が観てきた映画に関する話だったとしても、何を言っているのかサッパリ解らないと思います。

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白黒のセルフポートレート [セルフポートレート]

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あっし・ぼんぼちは、今月の16日で57才になりやす。
ということで、誕生日記念のセルフポートレートを撮ることにしやした。

セルフポートレートは過去記事に何枚かあげてきやしたが、いずれも屋内でカラーだったので、今回は屋外で白黒にしてみることにしやした。
白黒ならちょっとアート調の雰囲気がいいかな?と思い、自分は一素材に徹し あえてポーズもつけずにカメラ目線でもなくしやした。

あっし的には、背景のコンクリート打ちっぱなしのマチエールと有刺鉄線を模した首輪のイメージが一致してくれたところが気にいってやす。


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新宿・思い出横丁デビューの年令 [毒母]

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新宿西口ガード脇に在る 闇市発祥の庶民的な飲み屋街「思い出横丁」ーーー、東京あるいはその近郊にお住まいの酒好きのかたなら 一度は訪れたことがあると思う。

その思い出横丁、みなさんは、初めて訪れたのは何才の時だっただろうか?
上京して学生になって早々の18才? 社会人になって大人の仲間入りをした22才? それとも一通りの飲み屋を経験してからの30代?
ーーー思い出横丁デビュー、私の年令より早いかたは、まず おられないのではないだろうか?
何故なら、私の思い出横丁デビューは、0才マイナス10ヶ月だからである。
つまり、母親の胎内に宿ったその時点からすでに、母親の腹に運ばれて通っていたのである。

思い出横丁、当時は「ションベン横丁」と呼ばれていたそうである。
小便の匂いのする様な 薄汚い下品な飲み屋街だったからだそうだ。
中野の鍋屋横丁に住んでいた母は、都電に乗って 夜な夜なションベン横丁に飲みに通っていたそうだ。
私を妊娠していることが判ってからも 腹が大きくなって臨月になってまでも 通い続けていたそうだ。
私を産んだ期間だけ休み、再び動けるようになるや、又 ションベン横丁通いを復活させたとのことである。

私が産まれて間もなくは、まだ寝転がっているだけで 這って移動しないので、バーのカウンターの椅子の上に乗せて 隣の椅子で飲んでいたそうだが、しばらくして 這って移動するようになると、カウンターの椅子には置いておけないので、中野のアパートに閉じ込めて 飲みに通ったそうだ。

中野のアパートは三畳一間で私は6月産まれだったので、毎夜 閉じ込められるようになった時期に真夏の盛りが来て、私の身体は運動不足でぶくぶくに太り 肌はあせもでぼろぼろになったという。
母はよく その頃のことを「元々産みたくもねーのに産まれてきやがってよー! 醜くて臭くて見るのも触るのも嫌だったわあー!」と いかにも汚いものを思い出すように吐き捨てていた。

ションベン横丁から思い出横丁へと健全なイメージに改名され、多くの店が入れ替わったに違いない今も、私は、この横丁を訪れる度に、母がしばしば吐いていた言葉を思い出し、自分のルーツはここにあるのだと 濁って底の見えぬ水面動かぬ沼の如き思いに縛られる。

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甘い物が苦手になりました [独り言]

幼少の頃は、ただ苦いとか辛いとしか感じられなかったビールやわさび漬けが、大人になってみると美味しいと思えるようになった、というかたは多いでしょう。
子供の味覚と大人の味覚は根本的に違いますからね。
今日の記事はそれとは別で、大人になってから味覚が変わったーーーという話しです。
私は激しく変わりました。

私は、40才くらいまでは、甘い物が大好物でした。
でも、ニキビやかぶれなど肌トラブルが絶えなかったので、いつも我慢して めったに食べないようにしおかき1.JPGていました。
甘い物を我慢することは大変な苦痛で、日々 大きなストレスを感じていました。
そして、40才を過ぎてからは肌質改善に対する努力を諦めて、甘い物を食べたいだけ食べてやろうと思いました。
すると逆に、甘味の強いものがあまり好きではなくなりました。
食べるとしたら、たまに さっぱりとしたチーズケーキとか ブランデーやラムのの効いた大人向けのモンブランとか 生クリームをほんの少しだけ付けたスコーンとか、夏場にはバニラアイスクリームとか。
飲み物は、ウィルキンソンのジンジャーエールの辛口とか 苦いコーヒーの上にホイップクリームの浮いたウインナーコーヒーとか。

おかき2.JPGけれど、1年くらい前から、それすらも受け付けなくなってきたのです。
つまり、甘い物がほぼ全般的に苦手になったのです。
甘味の少ないケーキもスコーンもジンジャーエール辛口もウインナーコーヒーも、舌も気持ちもが拒否してしまうようになりました。
「不味い」と感じるようになったわけではないのですが、ほんの一口で「もう充分、これ以上は口に入れられない」と思ってしまうのです。
56才である今現在、甘味の入っているものを摂るのは、ドリンクヨーグルトか 行きつけの喫茶店の甘味の少ない手作りジャムの乗ったジャムトーストくらいです。
おやつに好んで食べているのは、KINOKUNIYAオリジナルのおかきです。(写真参照)

味覚って、年齢とともにこんなに変わるものなんだ! 40才くらいまでは「一度でいいから甘い物をお腹いっぱい食べることが出来たら どれほど気持ちが満たされるだろう!」と 夢に出るほどに思い続けていたのに、自ら拒否するようになるなんて、、、と、自分で自分に驚いています。
みなさんは、大人になってから、味覚、変わられましたか?


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壊された赤いコーン [写真]

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ぐしゃつと潰されたように派手に壊れている赤いコーン。
あっしは、壊れたもの 朽ちたものが大好きなので、これを発見した時「やった!ナイスモチーフ見っけ!」と 思わず駆け寄り 迷わず撮りやした。
そして、帰ってpcで、全体的に赤味をあげやした。
この作品をどう解釈してくださるかは、観てくださるみなさんに委ねやす。

この赤いコーン、壊れかたからして おそらく車に潰されたのでやしょうね。
単なる運転手のミスだったのか、夜間で見えなかったのか、、、
コーンには色々な色がありやすが、ダントツに多く見るのは、この赤でやすね。
赤いコーン、中に灯りを灯していれば、勿論 遠目からもよく見えやすが、灯りが入っていないと、赤という色は、彩度は高いけれど明度は低いので、暗いと見えづらいんでやすよね。
何色であっても道にコーンがあるのは美観を損ねることに変わりはないでやすが、安全面を考えると、彩度明度共に最も高い黄色を置くのが、効果的だと思いやす。


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飲食店で見た非常識な客ワースト5 [喫茶店・レストラン・カフェ]

私は外で飲み食いするのが大好きなので、毎日 様々な飲食店に出向いています。
たいていは心地よいひとときを過ごし 気分よく店を後にするのですが、稀に「あぁ、見たくない光景を見てしまった、、、」と不快になってしまうことがあります。
今回は、私が今までの人生で 偶然目の当たりにしてしまった 飲食店での非常識な客ワースト5を挙げようと思います。

第5位
ジャズを聴かせる大人の雰囲気のレストラン&バーにてーーー
私と友人の隣のテーブルの30代後半くらいのカップル。
男性が女性をひざの上に抱きかかえ キスをし続けていました。
チュッ!という軽い感じではなく ブチューーーッ!!レロレロと。
女性のほうもまんざらでもない様で、少しも抵抗する動きは見られませんでした。
私が正面に座っている友人と話をしようとすると どうしても 終始二人が目に入ってしまう位置だったので、友人に「後ろ、見てみ!」と振り向かせると、友人も 呆れて苦笑していました。
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第4位
そう広いキャパではない個人経営の喫茶店にてーーー
私がカップを片手にくつろいでいると、初老の男性が同年配の男女を引き連れ「11人だけど入れるよね」と入ってきました。
マスターが「申し訳ありません、11名様だとちょっと入りきれません」と断ると、男性は客席を指し、「あのテーブルとそこのテーブルをくっつけて あの椅子とそこの客の前の椅子を持ってきて、ソファには詰めれば○人は座れるから11人座れるじゃないか!」と憮然と発しました。
マスターが「それはちょっと、、、まことに申し訳ありませんが、、、」と再度断るも、男性は、「さっ!入った入った!」と マスターの言葉を一切無視して 仲間をぞろぞろと店内に引き入れました。
マスターは呆然とし、そして仕方なく注文を取っていました。

第3位
イマドキのオシャレなカフェにてーーー
私から近い席に着いた若い両親が、幼稚園生くらいの年齢の子供を テーブルの上に立たせてあやしていました。
そのカフェは、幼児向けのフォークやカップや椅子も用意されているなど 幼児を積極的に迎え入れる方針ではありましたが、そういった方針の店なら何をやっても構わないというものではないでしょう。
私がしばしば用事があって行く街に在ったので その度に利用していたカフェだったのですが、スタッフさんは何も注意をしなかったので、以来、その店に行くのをやめました。

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第2位
私が20代後半の頃アルバイトをしていたカクテルラウンジでは、こんな人がいましたーーー
社会的地位のあるらしい50代の男性。
私がカウンターの中で仕事をしながら テーブル席で飲むその男性をちらちら見ていたら、男性は、突然立ちあがりました。
トイレにでも行くのかな?と思っていると、しばらくその場で棒立ちになっていました。
そして、ソファの上にゲェェェーーーと大量に吐瀉物を吐き、謝りの言葉の一言もないどころか 何くわぬ顔で会計をして帰って行きました。
走ってトイレに駆け込めば 間に合う時間は確実にあったのに、、、
あれは、何か気に食わぬことがあってのマスターに対する嫌がらせだったのだろうか?と 今だに首を傾げずにはおれません。

第1位
某駅ビルのレストラン街の中華レストランにてーーー
私が定食を食べていると、私の目線の先のテーブルで、すでに食事を了えたおじいさんが 口から入れ歯を外し 冷やタンの中で入れ歯をジャブジャブ洗い始めました。
冷やタンの水は、みるみるモロモロとした食べ物の欠片がうずまき 黄土色に濁ってゆきました。
傍らには奥様と思われるおばあさんがいましたが、いつもやっていることなのか 当たり前の顔をして眺めていました。
食べ始めたばかりだった私は、続きを食べる気が全く失せ、その中華レストランを出ずにはおれませんでした。

様々な人が訪れる飲食店、稀に この様にとんでもない非常識な人が来るものですね。
店の人や他のお客さんに見られてどう思われるか、気にならないのでしょうか?
みなさんも、飲食店で、ここに挙げた人達に匹敵するような人を見たことありますか?

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