母親に受けた暴力以外の虐待 [毒母]

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私は過去記事にて、母親に虐待をされて育ったことを幾度となく綴ってきたが、今回は、暴力以外に受けた虐待について吐露しようと思う。
暴力以外の虐待-----
それは、一日中、トイレに行かせてもらえなかったことである。

我が家は、私が小さい頃から 旅行などで遠出をする時は、たいてい車移動だった。
当然、道中、ドライブインやガソリンスタンドなどに寄り、普通はそこで用を足す。
しかし、父や弟や母親自身が、自分が行きたいタイミングでトイレに立っていたのに、私だけは母親に 行くことを禁じられていたのだ。
「食事の前や途中で 女がトイレに立つのはみっともねぇー」 という理由をつけられて。
食事が終わって 又はガソリンスタンドで行こうとすると、母は、「時間がないーーっ! 早く車を出せーーっ!」と 父に命令し、母に言われるままの父は、「わかったよ」と 車を走らせるのだった。
私が、「ママは行きたい時にトイレに行ってるじゃない」と言うと、「なんだとー! おめーは親に口ごたえすんのかーっ! この親不孝者がーーーっっっ!!」と 殴りかかってくるのだった。
私がトイレを我慢して苦しんでいるのを見て、母親はいつも 愉快きわまりないといった様子で ゲラゲラと笑い転げていた。

そんな苦しい旅行が何度かあった後----
下腹部が痛み 排尿するとツーーンと全身に激痛が走り 残尿感があり いつもトイレに行きたい感じ-----そんな症状が出現した。
病院へ行くと「膀胱炎です」と診断された。
トイレを我慢しすぎたことが原因だった。 小学2年の時だった。
病院で処方された抗生物質を飲むと 一週間で治ったが、母親は こう吐いた。
「膀胱炎くらいで病院行くんじゃねーよ!この根性なしめがっ! こっちは おめーに妊娠させられて子育てさせられてんだよ! 妊娠すんのは死ぬほど辛くて 子育てすんのは死ぬより辛いんだよ! おめーはアタシにそれをさせてんだろーがっ! アタシの苦しみに比べたら おめーの膀胱炎なんて屁でもないだろーがっっっ!!」
----妊娠させたのは私じゃないのに・・・・・

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その後も旅行の度に、私はトイレに行かせてもらえず、その度に膀胱炎を発症し、その度に先の暴言を浴びせられた。
家族旅行は私が小学6年まで続いていた我が家の行事だったので、トイレに行かせてもらえない苦しみも 母親のゲラゲラ笑いも その後の膀胱炎も 暴言も、毎度のこととしてくり返えされた。

私が中学に入ると、家族旅行の行事はなくなった。
よって、トイレに行かせてもらえない苦しみからは解放された。
が----
膀胱炎は、何度かくり返して発症していると ちょっとのことでも発症しやすくなる病気なので、私はすっかり 膀胱炎を発症しやすい体質になってしまっていた。
少し疲れがたまったり 水分を摂れない時間が続いたり 3時間ほどトイレに行けなかったりするだけで。
その度に病院に行き抗生物質を貰っていたが、くり返す毎になかなか治らなくなり、小学生の頃は一週間で完治していたのが、そのうち二か月間抗生物質を飲み続けなければ治らなくなり、完治したと思ったらその三日後に 再び発症したりするようになった。
膀胱炎になっていない時のほうが圧倒的に稀な日々になってしまった。

疲れをためない こまめに多めに水分を摂る 出来るだけひんぱんにトイレに立つ、この 医者からの「膀胱炎になりづらい体質になる為の注意事項」を守り続け、私はようやっと、40代後半で 膀胱炎体質とおさらば出来た。

母親にされた理不尽な理由の暴力の痛さも忘れることが出来ないが、この トイレに行かせてもらえなかった苦しみや、母親がそれを大口開けて笑っていた醜い顔も 一生 忘れることが出来ない。

----一つ写真記事を挟んで、3月23日は、母親が弟を見殺しにしようとした一件を公開しようと思う。
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タグ:虐待 膀胱炎
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