じいちゃんの久留米弁 [福岡時代]

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ここのところ一記事おきに「小さい頃は福岡に住んでいた」と書いてきたので、その関連話をもう一つ----。
じいちゃんの思ひ出話をしようと思う。

私が3才から9才まで住んでいたのは、福岡県春日市で、そこに6年間住んだ理由は、父の実家が在る久留米市から そう遠くなかったからだ。
ばあちゃんは私を猫っ可愛がりしてくれ、しょっちゅう春日郡の私の家まで遊びに来ていた。
けれど じいちゃんは、一度も来たことはなかった。
小さな子供があまり好きではなかった というのも一つにはあっただろう。
けれどそれ以前に、歩行が非常に困難だったために 殆ど久留米の家から出られなかったらしい。
父の話によると、なんでも両足の裏一面にビッシリと隙間なくウオノメが出来、それが何年間も治らず、地を踏むだけで強い痛みが走っていた ということだった。

父に連れられ久留米の家に行くと、ずんぐりとしたハゲ頭のじいちゃんは、彫り置かれた石仏のように いつも居間の同じ椅子に ジッと腰かけていた。
便所にでも行くのか まれに立ちあがって居間から出る時は、それこそ薄氷を踏むが如く そろり・・・・・そろり・・・・・と歩をすすめていた。

そんなじいちゃんも、時々は、おかっぱ頭の私を見おろして話かけてくれた。
しかし----
じいちゃんの話す言葉は生粋の久留米弁だったので、何を言っているのかまるで外国語のようで サッパリ解からなかった。
父やばあちゃんや私と同世代のいとこ達の久留米弁は、難なく解かったのだが。
今でも私は、父 ばあちゃん いとこ達の使っていた久留米弁を、話すことこそ出来ないが、聞けばほぼ100パーセントに近い確率で理解が出来る。
ばあちゃんはよく しゃがみこんで、「ぼんぼちちゃ~ん」「ぼんぼちちゃ~~ん」と頬ずりしてくれたが、じいちゃんと触れあったことはなく、言葉の距離も縮まらぬままに了ってしまった。

時代がくだるにつれて どこの地方でも年々、生粋の方言を使う人間が少なくなりつつあり、年配者の話す言葉をその土地に生まれた若者ですら理解不能になってきている と聞く。

これも時代の流れで必然のなりゆきかもしれないが、方言というのは その土地土地の貴重な文化なので、若干 寂しさを覚えずにはおれない。

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