九州女は情が深い??? [独り言]

前々回、私は、「出身地が嫌いだから出身地を聞かれること自体があまり好きではない」という概要の記事を書いたのだが、それに類する話で、言われたら テーブルをひっくり返したくなるほど嫌なことがあったのを思い出したので、今回は それを綴ろうと思う。

「生まれ 育ちはどこ?」という話題になった時に、「じゃあ、小さい頃はどこに住んでたの?」と 聞かれることがよくある。
「福岡県です」と答えると、「どういう理由で福岡に住んだの?」と返ってくる。
九州女.jpg「父の実家が福岡だからです」と私。
そこまではいい。 福岡は大好きな土地だったので、そこまではいいのだ。
ところが!! その返答に対して こうのたまう輩が少なからずいるのだ。
----それは必ず男性である。
「ということは、半分 九州人の血が入ってるんだ! 半分 九州女なんだ! 九州女っていうのは情が深いんだよねぇ!!」
それはもう嬉しそうに 満面ふにゃふにゃにして肯定的に発するのである。
私はちっっっっとも情が深くないし-----どころか、過去に付き合ったり結婚してきた人全員に、「アナタは冷たい」「アナタほど冷たい人には逢ったことがない」と ぶつけられてきたほどだ。
それに、生まれてから30才くらいまで ずっと福岡に住み続けていたから というならまだしも、「血」で語られることには 非常に非理論的な馬鹿馬鹿しさを覚えずにはおれない。
否、それ以前に、「九州女は情が深い」。 そんな根拠が、一体全体どこにあるのだろうか?

私は間髪置かずに、「いいえっ! ちっとも情は深くないですっ! いつも冷たいと言われますっ!」と キッパリと否定する。
九州女1.jpg営業職でもホステスでもないのに、相手の望む答えを偽ってして喜ばす必要など みぢんもないからだ。
そこで、「ふうん、そうなんだ・・・・・・」と引き下がってくれれば、こちらのテーブルに掛けた手も引っ込む。
しかし、そういった輩は ほぼ例外なく、ますます顔をふにゃふにゃにしてますます肯定的に こうくるのだ。
「またまたぁ~ ほんとは情が深ーーーいんでしょ。強がっちゃってー。 ほんとは尽くすタイプなんでしょ?」
私は余りの怒りに テーブルの縁の手をブルブル震わせつつ 眉間にしわを寄せて口をへの字に曲げるのがお決まりだ。

今までは、そこで爆発寸前の怒りを飲み込んできたが、相手に言いたい放題言われて 多大なストレスを溜め込んで帰るのは理不尽極まりないので、今度からは、「へぇぇぇっっっ!? 九州女が情が深いって 一体どのような論拠に基づいて仰っているんですか? 地域性の血って遺伝するものなんですか?」と 徹底的に論破して ぐうの音も出ないまでにやり込めてやろうと 拳を硬くしている。

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茶色い背景の木 [写真]

写真・茶色いバックの木.JPG

元は、澄み渡る青空にそそり立つ クリーム色の花?をつけた木でやす。
ネガ加工したら、平面的でイラストみたいな面白さが出たので、作品としてアップすることにしやす。
それにしても、この木、なんていう木なんでやしょうね?
ずいぶん変な所に花らしきものをつけてやすね。
あっしは山や野には行かないので 街なかで撮ったことには違いないのでやすが、もうだいぶ前に撮ったものなので、どこの街だったか忘れてしまいやした。
もし、この植物が何か解かるかたおられたら 教えてくださいでやす。


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ご自分の出身地、お好きですか? [独り言]

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みなさんは、ご自分の出身地 お好きですか?
私・ぼんぼちは、正直言って 大嫌いです。

私は、東京・中野区に生まれ、3才の時に父親の仕事の都合で福岡県春日市に引っ越し、9才で やはり父の仕事の関係で 東京郊外の国立市に越しました。
そして38才になって、東京23区内の西の端 杉並区・西荻窪に 自らの意思で住み始め 今に至ります。

ですから、「出身地はどこ?」と聞かれると、これは圧倒的に長く住んでいた土地を答えるのが正当だろう それ以外にはないだろう と「国立です」と答えます。
----中野は記憶すらないし、福岡は米軍の基地のあった独特の空気の街で大好きだったけれど たったの6年間しかいなかったし、今 住んでいる西荻窪も まだ18年目の新参者ですから----
すると、ほぼ100パーセントに近い確率で、「まぁ!国立! ステキな街に住んでおられたのね」とか 「国立と言えば美味しいフランス料理屋さんが何店もありますよねー」とか 「駅前の大通りは まるで公園みたいでいい所ですよねー」といったお誉めの言葉が返ってきます。
しかし私にとって 居心地が良く愛せるのは、お年寄りがのんびりと店番をしている古い個人商店や 灰色の普段着にサンダル履きのおじさんが昼間から呑んだくれている焼き鳥屋さんのあるような 庶民的な街なのです。
くにたち1.jpg

ウチが越して来た頃からすでに国立は、文教地区であるために、ちょっと気どった品のいい街で、「なんか馴染めないなぁ」と 子供心に感じました。
けれど、私が中高生のあたりまではまだ、元ヒッピーの営っているらしい小汚く個性的な喫茶店などが何軒もあり、中央線らしい匂い(いわゆるサブカル的)の残る街でした。
ところが! かの山口百恵さんが、「子供の教育に最適な街だから」という理由で越されて来たために、国立=お上品・ハイソ なイメージは決定的なものになり、それは全国区的に認知されることとなりました。
百恵さん効果で、国立の土地の価格が上がったほどでした。
私は決して百恵さんに恨みを持つわけではありませんが、そういった展開によって ますます国立の街が嫌いになりました。
そして、家庭の状況が 国立を脱出可能となるや、そそくさと 以前から住みたかった庶民的な街の一つ 西荻窪へと逃げ出した というわけです。

だから、私は出身地に、懐かしさも愛着もなければ、いくらお誉めのお言葉を頂戴したところで ちっとも嬉しくないのです。
尤も、「私の出身地は○○です」と答えた街がどんな街であったとしても、「あらぁー、ずいぶん嫌な街に住んでいたんですねー」と返す非常識な人はめったにいないでしょうけど。 何かしらその街の長所を探し出し、心の中では思わなくとも誉めてあげるのが 社会性のある大人というものでしょうけど。

よって、私個人は、「出身地は?」と聞かれることからして好きではありません。
「生まれはどこ?」
「小さい頃はどこにいたの?」
「今、どこに住んでるの?」
それらの質問には、こぼれ落ちるほどの満面の笑顔で 延々と街自慢を披露するのですが・・・・・。

くにたち2.jpg

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工事現場の一隅 [写真]

写真・工事現場の一隅.JPG

住宅街の 作業員さんのいない工事現場で遭遇した 工事に使う部品らしきもの。
元は、鈍く黄緑色に光る金具でやした。
あっしはこういうモチーフが大好きなので、これを見つけた時 心の中でガッツポーズをとりやした。「あれこれ加工すれば、絶対 成立する作品ができるぞ!」と。
撮り帰り、pc上で、ネガ加工し 紫色度を上げ コントラストも強くしやした。
結果、現場で頭の中で思い描いた通りの仕上がりになってくれやした。

工事現場といえば-----
何週間か前、自宅から最寄り駅に向かおうと 商店街の路の左側を歩いていたのでやすが、突然、路の右側の 建て替え中であるらしいシートで覆われた建物のシートとシートの隙間から パリーーーン!!という音とともに 粉々に割れたガラスが路に舞い散ってきやした。
幸い、その近くを歩いていた人は誰もいなかったので 何も悪いことは起こりやせんでやしたが、あっしは「わっ・・・・!こんなことがあるんだ。危ないなぁ」と思い、以来、作業中の工事現場の近くは 極力歩かないようにしようと学習しやした。
みなさんも気をつけてくださいね。

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スラングの生息域の変化 [独り言]

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芥川龍之介の晩年の短編の中に、小生意気な中学生達が教師のことを、「あいつはちゃくいぜ」「○○だってちゃくいぜ」と 揶揄する件りがある。----「ちゃくい」とは、どうやら「ずるい」という意味のスラングであったらしい。
この様に 昔からスラングは生息し、主に 同世代間で使われるのがお決まりだった。
同世代同士でさえあれば、別段 親しくなくとも通用したのだ。
しかし そのスラング、ネットが十二分に流通する時代になって以降は、生息域に変化が生じて来たと感じている。

私は現在56才なのだが、例えば----
「ガミー」というスラングがあるのだけれど、この言葉、同世代のかたで解かるかた、どのくらいおられるだろうか?
殆どのかたは、「何それ?」「初めて聞いたー」と仰るのではないだろうか。
----ガミーというのは、笑った時に思いっきり歯ぐきが見える口元の事を指すのである。 ガミースマイルとも言う。
具体的に解かり易い例を挙げると、「女優の沢口靖子さんはすごい美人だけどガミーだよね」 等と使う。
そう、つまりこの言葉は、美容に強く興味のある人の間でだけ使用されているスラングなのである。
美容に興味大であれば、50代だろうが30代だろうが10代だろうが ツーカーの言葉である。

又、「青文字系」というスラングもある。
これもやはり、多くの50代のかた、「?」なのではないだろうか。
青文字系というのは、アンチコンサバファッションの事である。
今なら、きゃりーぱみゅぱみゅ 中村里砂ちゃん、一昔前なら、アイドル時代 髪をショートにしてからの小泉今日子さんやロック調の曲を歌っていた頃のアンルイスさん達のファッションである。
ちなみに、リアルに私と逢った事がある人や過去の私のポートレートを見た人ならピンと来られたと思うが、私・ぼんぼちも青文字系である。
ファッションにアンテナを立てている人にしか通用しないスラングである。

この様に スラングは、同世代同士→共通の趣味の者同士 へと、明らかに生息域が変化しているのである。
現代人の多くは私生活の中心がネットにあり、ネット上で会話をする時には 世代など関係なく、同じ趣味・嗜好の者が集うからに他ならない。
鉄道を趣味とする人 アニメを趣味とする人 猫を飼っている人 等々・・・・・・世の中には幾多 趣味が存在する訳で、それぞれの趣味の領域内で 他趣味の者には理解不能なスラングが、次々と 生まれ 育ち 闊歩している事だろう。

私は、こういったスラングの生息域の変化を、時代の流れ・文明の発達による必然と解釈しているので、肯定的に捉え、自分と共通の趣味の人間との間では 積極的に使用している。

スラング1.jpg

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黄色い缶 [写真]

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輸入食材店のウィンドウ越しに遭遇した お菓子が入っていると思われる黄色い缶。
黄色の鮮やかさと可愛らしい柄に惹かれ 思わず携帯端末を向けやした。
特別どうということのない作品でやすが、撮る時に気をつけたのは、隙間の暗い部分がバランスとして適切な位置にくるようにしたことでやす。

世間はもうすぐバレンタインデーでやすね。
こんなお洒落な缶なら 堂々と自信を持ってあげられやすね。
しかし、もう何年も前のことでやすが、こんなことがありやした。
某輸入雑貨&菓子の店で、なかなか面白いデザインのチョコを見つけたので、当時付き合っていた人にそれをあげようと レジに持ってゆき、「バレンタイン用に包んでください」と申し出やした。
すると、店員が包もうとしたのは 酷くダッッッッサイ色と柄の包装紙。
「うわっ!ダッサイですね。バレンタイン用で他の包装紙はないんですか?」と聞くと それだけだと言う。
「じゃあ、バレンタイン用じゃない通常の包装紙でお願いします」と所望し、あっしの言った通りに店員が取り出したのは、バレンタイン用と丙丁つけがたいダサさのもの。
あっしは、「えーーーーっ!ダッサイのしかないんですねー! じゃ、いいです。これ買うのやめます!」と、レジにチョコを置いたままスタスタと店を出やした。
付き合っていた人とは良好な人間関係を築けていた時だったので、包装紙がダサいからという理由で関係が悪くなるなどということは 決してなかったと思いやすが、あれらの包装紙はあっし自身が許せなかったのでやす。
バレンタイン商戦売り手側のみなさん、様々な凝りに凝ったデザインのチョコを毎年作られてやすけど、「大事なのは中身、包装紙なんてテキトーにピンク地にハート柄あたりにしておけばオッケー」といった安直な考えでは商戦に負けてしまいやすぜ!

 
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日本語は難しい?・Ⅱ [独り言]

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言葉は生き物で常に変化しつつあり、巷には新種のスラングが次々と、ネットやメールや人々の口から溢れこぼれてくる。
私はその事を、そういった言葉を使うのに相応しい場でさえあれば、おおいに使って構わないと考えている。
場の空気が堅苦しくなくなるし 距離のあった人との間もそれらの語を仲介として縮まってくれるからだ。
しかし、スラングでもなく、その人にしか判らない---つまり 間違った言葉の使い方をする人に出逢うことがしばしばある。

以前 私が絵を教えていた60代の男性----
「ウチの外壁に虫がいっぱいいて女房がキャアキャア怖がって困ってるんですよ」と言うので、周りの生徒さん達と私が、「どんな虫?」「何ていう虫?」と尋ねると、両掌をパッと前に出し 上下に交互にガジガジガジと動かし、「虫ですよ、虫。こーいう」と答えた。
私達は口々に、「バッタ?」「ゴキブリ?」「コガネ虫?」「カミキリ虫?」「カマキリ?」・・・・・と、とにかく虫という虫を挙げたが どれも違うと言い、「虫ですよ、虫」と くり返すばかりだった。
----結局、ヤモリのことを言っているのだと判った。
ヤモリは虫じゃなくて爬虫類でしょうが。

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ショットバーでアルバイトをしていた時に客として来た40代サラリーマン----
唐突に、「こーいう 花をいけるものがありますよねー」と、両手で大きなお椀のような形を示した。
「あれ、何ていうものでしたっけー?」
私達従業員が口を揃えて「花瓶でしょ」と言うと 違うと言う。
「水盤?」 「違う」 「壺?」 「違う」 「花籠?」 「違う」 ・・・・・・・・
「花をいけるものですよ、花をいける」 「いける器って他にあるかなぁ・・・・・・?」
20分間のやり取りの末に やっと彼の指しているものが判った。
それはプランターだったのだ。
プランターは「いけるもの」じゃなくて「植えるもの」でしょうが。

知り合いのギャラリー喫茶経営の40代の女性----
「私ね、犬を飼ってるのよ!」と 声を弾ませた。
「あー、わんちゃん、可愛いですよねー。 何ていうお名前なんですか?」
「ロットワイラーっていうのよ」
----それは名前じゃなくて犬種でしょうが、と呆れたが、気を取り直し、
「でっ! わんちゃんの、オナマエはっ! 何ていうんですか?」
「だからぁ、ロットワイラーよっ!」
「犬種」と「名前」の言葉の区別もつかないんですか・・・・・・。

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他にも、○○銀行のATMが一台設置されているのみのハコを「○○銀行が在る場所」と言ったり、ガソリンスタンドのことを車屋と呼んだり、二つバス停が並んでいるだけの狭い駅前を「ロータリー」だと言い張る人や、「僕は流行歌は嫌いなので 一切誰も聴かないんです。サザンと奥田民生を聴きます」と 平然と発する人がいた。

このような人達と会話をしようとするとダイヤローグが成立しなくて 非常にストレスを感ずる。
言っている本人は、自身が間違った言葉の使い方をしているとはつゆ認識がないから、私の顔を見て、「何でこの人はこんなに不機嫌な顔をするのだろう?」といった表情をしたり、「何でこんなに簡単な話が通じないのだろう?」といった頓狂な顔をする。
外国人や子供や帰国子女でもあるまいし、日本に生まれ、長年 日本に暮らしてきて、一体 日本語の何を学んできたのだろう?
日本語って、そんなに難しいですか???

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タグ:日本語 言葉
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ひび割れた舗道 [写真]

写真・ひび割れた舗道.JPG

自宅近くのひび割れた舗道。
あっしなりにとても気に入っている作品でやす。
どういう構図にキメるか、つまり どう切り取るかが勝負のモチーフだったのでやすが、これで正解だったと思っておりやす。
元々無彩色だったものをあえてモノトーン加工し 無機質感を強調し、コントラストと明度を 作品として最も成立する力強さに調節しやした。

あっしは個人的に、整然と隙なく美しく完結している街より この写真のような壊れたり朽ちたりしたものがそこここにある街のほうが、がぜん魅力を感じやす。 基本的に昔から 退廃的なものが好きなんでやす。
みなさんは、どちらの街がお好きでやすか?

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日本語ハ難シイ?・Ⅰ [喫茶店・レストラン・カフェ]

我が家の近所に、味はどうということのない 店員さんがインド人のインド料理店がある。
そこの店員さんは、商店街など 店の外でばったり会った時にも笑顔で挨拶してくれるので、私はその気持ちが嬉しく、週に一、二度は その店でランチを食べている。

ランチは840円で、いつも1000円札を渡し160円の釣りをポンと貰って帰って来る。
が、ある時 1000円札がなく10000円札を出した。
店員さんは1000円札の束を取り出し 釣りを一枚づつ数え始めた。
「イチ ニ サン ゴ ロク ナナ ハチ・・・・・」
「?・・・・」、私は眉をしかめて「んんっ?」と言った。
店員さんは、もう一度 最初から数え始めた。
「イチ ニ サン ゴ ロク ナナ ハチ・・・・」
私が「4が抜けてるよ」と指摘すると、彼は「アッ!!」という顔をして、「イチ ニ サン・・・・ヨン・・・・ゴ ロク ナナ ハチ キュウ」と 9枚の1000円札と160円を渡してくれた。
私は彼が、まったく悪意があってやった事ではないと十二分に見抜けたので、なんだか微笑ましく「ふふふふ」と思った。

それから何度目か後にその店に行った時----
私がレジ近くのテーブルで食べていると、10000円札を出している客がいた。
例の店員さんが1000円札を数え始めた。
「イチ ニ サン ゴ ロク ナナ ハチ キュウ」
客はまるで気づかずに、8枚の1000円札と160円を受け取って店を出て行った。
私は、ちぎったナンを片手に一人 コロコロと笑ってしまった。
店員さんは、その日の閉店後、レジをしめて売り上げ計算をした時に、「アレ?何デ合ワナインダロウ?」と 首を傾げたことだろう。

インドは数学が得意な国なわけだし、早く 4を抜かさずに勘定出来るようになるといいねー!

インド料理.JPG

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