ブルースに疎いぼんぼちの語るサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ [感想文]

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私は、きちんと音楽理論を勉強したわけでも マニアというほど明るいわけでもありませんが、「好きな音楽ジャンルは何?」 と問われると 迷わず、「戦前からシカゴ時代までのブルース」 と答えます。
「では、その中で特に好きなミュージシャンは誰?」 と踏みこまれると、やはり迷う事なく 「ミードルクス・ルイスとサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ」 と返します。
ミードルクス・ルイスは、戦前から戦後にかけての代表的なブギウギピアニストで、彼については以前 このブログで紹介させていただいたので、今日は、サニーボーイ・ウィリアムスンⅡについて 綴らせていただこうと思います。

サニーボーイ・ウィリアムスンⅡは、1899年生まれらしく(らしく というのは、この年生まれの説が最も有力で いまだに正確には不明だからです)、そして 主に1950年代初頭から1965年まで活躍し、シカゴブルースの土台を築いた一人と言われている 名ハーピスト(ハーモニカ奏者)&シンガーです。
名前の最後に付いている「Ⅱ」というのは、同姓同名のブルースハーピスト&シンガーがもう一人いて、その人と区別するために 後年になって付けられたものです。
両者の間に血縁関係や師弟関係はなく、Ⅱが「Ⅰのようになりたい!」といった願望から 同名の芸名にしたようです。
ですから、時代がくだってから編集されたものを除くと、発売されているレコードは勿論、CDもレコードのジャケ写を縮小コピーしたものですから、ⅠもⅡも単に、「サニーボーイ・ウィリアムスン」名義になっていて、ご本人の顔写真が印刷されていない盤もあるので、ちょっと調べないと判別しづらいです。

さて、その私の好きなほうのサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ、どんな音を出していた人か というと、とにかく「渋い!」の一言に尽きます。
低めのしゃがれ声で、時に語るように 時に叫ぶように歌う。 けれど決して 腹の底から地面を揺さぶるように吠えたりはしない。
ハープも、肺の空気ありったけを使ってプヒーーーーーーーーーッ!!!とは演らない。 プヒプヒプヒプヒ プヒーーーッ!ってな感じです。
シカゴブルースと一口に言っても様々なわけですが、私は個人的には、彼くらいの「押し過ぎなさ」「引き過ぎなさ」が最も嗜好にしっくり来、至福の心地良さを感じてしまうのです。

後にロック界で世界的にメジャーになるアニマルズやヤードバーズとも 1964年に渡英した際に共演していて、その時のライヴはレコードやCD化されて遺されていますが、若きアニマルズやヤードバーズが いかに当時のブルースにリスペクトしていたかや ブルースからロックへと変遷してゆく様が手に取るように解かって、彼らとの共演も、ブルース史・ロック史に於いて 非常に貴重で有意義なことだったと 思わずにはおれないものがあります。

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サニーボーイⅡは、1965年まで仕事をしていた人でしたから 映像も幾つも遺されていて、それを観ると、聴かせることのみならず「観せる」ということに関しても とても心を砕いていたのが見て取れます。
先ず、お洒落です。
長い手足にバッチリ似合ったスーツに山高帽、肘にはステッキを下げての登場です。
そして、ハープの吹き方には 目が釘付けになります。
ノッてくると、両手をハープから離し、ハープをほぼ口の中に入れてしまい 口をモゴモゴと動かすことで音程を調節するのです。
のみならず、今度は 鼻でも吹き始めたりするのです。
それらの様子が、ユーモラスで楽しくて実に見事!
何というエンターテイメント性の高さ、サービス精神旺盛なアーティストなのでしょう!
私は最初、彼のファンになった時点では 音源だけしか知りませんでしたが、何年か経って映像を観て、「熱烈な」という形容の付く大ファンにならずにはおれませんでした。

彼は又、大の大酒飲みで、「これ以上飲むと死ぬぞ!」と 医者から宣告されていたそうですが 聞く耳持たずに飲み続け、晩年は、ステージの上に空き缶を置いて プレイの合間合間に缶の中に血を吐いてはステージをこなしていたそうです。
何というプロ根性でしょう!

そんなサニーボーイⅡ、1965年に ついに心臓発作で亡くなってしまいます。
精神的に 酒を飲まずにはおれないものが彼の中にとぐろを巻いていたのでしょうが、こういった点からも、如何にもブルースマンらしいブルースマンであったと、私は、ブルースに疎い者ながらも 深く頷いてしまいます。
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