青いパパイヤアレルギー [独り言]
みなさんは、アレルギーを起こしてしまう食べ物は何かありますか?
私は、青い未熟のパパイヤです。
黄色く熟れたものだと何ともないのですが、青いパパイヤを食べると、頭の 特にうなじに近い辺りが ズッキン!ズッキン!と、それはもう尋常ではない強さで痛くなってしまうのです。
青いパパイヤが原因だと判明するまで 少々時間がかかりました。
というのは、熟れたパパイヤは大好物で子供の頃から日常的に食しており、まさか 熟れたものが平気で未熟のものだけに反応するなど 夢にも思わなかったからです。
頭痛に襲われるのは、決まってタイ料理を食べた後でした。
ですから 最初は、「辛すぎるものを摂ったせいだろう」と思いました。
しかし、たいして辛くないメニューを選んだときにズッキン!ズッキン!と 立っているのも耐えられないほど痛くなったり、逆に 酷く辛い料理を食べたときに何ともない事もあったので、これは辛さではなく 何か他の食材のアレルギーに違いないと察しました。
そして、ズッキン!ズッキン!が三度目に出現したところで、出現前に食べた物をよく思い出し 洗い出して、原因は、サラダで食べた青いパパイヤ以外にあるまい、と辿り着いた次第です。
以降、青いパパイヤは絶対に口にしないようにしていますが、三度だけのズッキン!ズッキン!で気がつけて、不幸中の幸いだったと胸をなでおろしています。
食物アレルギーも、酷い場合は死に至ることもあるそうなので。
赤い放射状の光 [写真]
ここのところ写真記事は写実が続いたので、反動で思いっきり抽象的なのを出したくなりやした。
なので、この写真を公開しやす。
もうだいぶ前に、夜のイルミネーションを 携帯端末をフリフリしながら撮ったものでやす。加工は全くしてやせん。
この作品を観て何を感じどう解釈してくださるかは、観てくださるみなさんにゆだねやす。
新緑を抜けて [詩・詞]
パプリカ [写真]
赤いパプリカ。
柔らかな印象にするためにあえてくっきりさせないで、影も画のひとつと計算して撮りやした。
あっしなりにではありやすが、まぁまぁ気に入っている作品でやす。
パプリカ、煮ても焼いても生でもイケやすね。
そういえば以前 飲みに入った店で、表面を強火でさっと焼いて皮をむき マリネ液につけたパプリカが出てきたことがありやした。
ほどよい熱加減で素材の甘味が引き出されて、あれは特に美味かったなぁ。
子供の頃の日曜日 [毒母]
私が小学三年から六年までの間、私の父が家に帰るのは 日曜日だけだった。
他の曜日は何処に帰っていたかというと、複数人囲っている愛人さん宅だった。
日曜日----
起きるや、母は父をののしっていた。 「昔は痩せててカッコ良かったのに 太って醜くなった」とか 「ヨーロッパ旅行に連れて行くと言っておきながら連れて行ってくれないじゃないか」とか 「座る時、手の甲を腿にあてる癖がみっともない」とか・・・・・。
弟は、そんな母に便乗して一緒になってののしっていたが、私は父をののしるなんて失礼な発言は出来なかったので黙っていた。
父は、母と弟と私を 昼は外食に連れて行くのが 母の命令で決まりとなっていたので、車で ステーキレストランやホテルの中華料理店に出向いた。
母が、一般の客と同じ席は嫌だと言うので、個室で食べていた。
そこでも、母は父をののしり、弟は便乗し、私は黙っていた。
帰り際には決まって、紀ノ国屋でカートいっぱいに食材を求めた。
夜になると、父は、すきやきを作ってくれた。
弟と私が箸を伸ばしている間、母は「そんなもん まずーーーーい!!」と言いながら、ダイニングキッチンの離れた所で、蕎麦を茹でてすすっていた。
面倒くさいからと薬味も刻まず、生醤油をちょっと水で薄めただけのつゆにつけて、鬼の様な形相で、やはり父の悪口を吐きながら もぐもぐと口を動かしていた。
するうち、怒りがふっとうして、「ギャーーーーーーッ!!!」と叫ぶや、薬缶を持ち出し 廊下に出て、隣家にも響き渡るほどの大声で父をののしりわめき、薬缶を廊下に叩きつけては拾い また叩きつけては・・・・・・が始まるのだった。
毎回、二時間くらいはそれが続いた。
父も弟も私も、何も言わずにその様子を眺めていた。
私はそんな日曜日が大好きだった。
何故なら、日曜以外は、私は母に、「産みたくもないのに勝手に生まれてきやがってーーーー!!!」と、意識がなくなるほどボコボコに殴られるのだが、日曜日は、母の怒りの矛先が殆ど父に向くので、私が殴られることはあまりなかったからだ。
私は、目を血走らせ奇声をあげ薬缶にあたる母を見ながら、「毎日がこんな日曜日だったらいいのにな」と 思っていた。
他の曜日は何処に帰っていたかというと、複数人囲っている愛人さん宅だった。
日曜日----
起きるや、母は父をののしっていた。 「昔は痩せててカッコ良かったのに 太って醜くなった」とか 「ヨーロッパ旅行に連れて行くと言っておきながら連れて行ってくれないじゃないか」とか 「座る時、手の甲を腿にあてる癖がみっともない」とか・・・・・。
弟は、そんな母に便乗して一緒になってののしっていたが、私は父をののしるなんて失礼な発言は出来なかったので黙っていた。
父は、母と弟と私を 昼は外食に連れて行くのが 母の命令で決まりとなっていたので、車で ステーキレストランやホテルの中華料理店に出向いた。
母が、一般の客と同じ席は嫌だと言うので、個室で食べていた。
そこでも、母は父をののしり、弟は便乗し、私は黙っていた。
帰り際には決まって、紀ノ国屋でカートいっぱいに食材を求めた。
夜になると、父は、すきやきを作ってくれた。
弟と私が箸を伸ばしている間、母は「そんなもん まずーーーーい!!」と言いながら、ダイニングキッチンの離れた所で、蕎麦を茹でてすすっていた。
面倒くさいからと薬味も刻まず、生醤油をちょっと水で薄めただけのつゆにつけて、鬼の様な形相で、やはり父の悪口を吐きながら もぐもぐと口を動かしていた。
するうち、怒りがふっとうして、「ギャーーーーーーッ!!!」と叫ぶや、薬缶を持ち出し 廊下に出て、隣家にも響き渡るほどの大声で父をののしりわめき、薬缶を廊下に叩きつけては拾い また叩きつけては・・・・・・が始まるのだった。
毎回、二時間くらいはそれが続いた。
父も弟も私も、何も言わずにその様子を眺めていた。
私はそんな日曜日が大好きだった。
何故なら、日曜以外は、私は母に、「産みたくもないのに勝手に生まれてきやがってーーーー!!!」と、意識がなくなるほどボコボコに殴られるのだが、日曜日は、母の怒りの矛先が殆ど父に向くので、私が殴られることはあまりなかったからだ。
私は、目を血走らせ奇声をあげ薬缶にあたる母を見ながら、「毎日がこんな日曜日だったらいいのにな」と 思っていた。
幡ケ谷ゴールデンセンター [写真]
京王線で新宿から二駅目の小さな街 幡ヶ谷の駅前に在る 幡ヶ谷ゴールデンセンター。
古い小さな街によくある 地下のこぢんまりとした商店街でやす。
閑散としていてどんよりと薄暗いのに、ゴールデン。
このセンスが、あっし的にはツボばちこーんでやす。
どーんよりした感じをお伝えしたくて 白黒で暗めにキメてみやした。
酒といえば [台詞]
「アンタぁ、酒は好きかい?・・・・・・・・・・・・・・・・・ラ、ラムとワインだとぉ? ばっかもーーーーん!!! 酒といえば日本酒に決まっとるだろーが!・・・・ったく、最近の若いモンは、こんな常識も解からんのかっっっっ!!!」
黄緑色のホース [写真]
飲食店の裏口に置かれていた黄緑色のホース。
ちょうどホースの塊の下半分 つまり画面の中央部分に光が当たっていたのと、ホースの黄緑色の他には黄緑色と相性のいいシルバーしか画面内に入っておらず 作品として成立したので、公開することにしやした。
あっしは時折、玄関先をホースでジャバジャバ洗うのでやすが、そうすると道を歩く男の子達が「わー!」とか「水~!」とか言いながら立ち止って凝視しやす。
なんで男の子って、水が流れてるだけのことにそんなに興味を持つんでやしょうね?
あと、道路工事とか建設現場とかも、大好きでやすよね。
あっしは女なので そこのところ全然理解ができやせん。
飲みに行きました [台詞]
「『昨日は飲みに行きました』・・・・・って、何を飲んだの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『ハーベイの・・・・ブリストル・・・・・クリーム』・・・・って、それなあに?・・・・・・・・・・・『シェリー?』・・・・・シェリーってなあに?・・・・・・・・・・・・・・・『しゅせいきょうかワイン?』・・・・・・・・・・・・・・てことはワインってこと?・・・・・・・・・・ワインってぶどう酒よね・・・・・・・・・・ていうことはお酒を飲みに行ったのね。・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ~~、最初っから『お酒を飲みに行きました』って言いなさいよ。 『飲みに行きました』だけじゃ、お茶だかコーヒーだかジュースだかお酒だか解らないでしょ。 まったく最近の若い人っていうのは言葉足らずなんだから」