母の戦争の話 [毒母]

死んだ私の母は、昭和九年生まれで、小学生の時に戦争を体験していた。
母の住んでいたのは 群馬県の赤城山の中腹の 隣家まで歩いて何十分もかかる寒村だったので、空襲などとは縁がなかった。
村は農業を生業とする家が多い中、母の父は大工だった。

母は私が子供の頃、問わず語りに 繰り返し繰り返し こんな戦争の時の話をしていた。
「食べる物がなくなって野草を入れた粥をたいてると、村の百姓がわざと『へえ、それ、山羊の餌ですかい?』ってイヤミを言いに来やがるんだよ。 ふだんはこっちのほうがいいもん食べてるもんだから これみよがしに。 ふだんは こっちが『どん百姓どん百姓』って馬鹿にしてたのにっ! 百姓は(戦争になっても)食うモンなくならないもんだから、ここぞとばかりにイヤミを言いに来やがるんだよっ! ちきしょう!ちきしょう!どん百姓のくせにっ!!
-----でも前橋の街が空襲になった時は嬉しかったねー。 ウチの庭から下のほうに前橋の街が見渡せるんだよ。 真っ赤に燃えて綺麗だったよー。 ふだんアタシらのことを『田舎モン田舎モン』って馬鹿にしやがる前橋のモンがいーっぱい焼け死んでるって思うと、嬉しくって嬉しくってしようがなかったねー。 ざまぁみやがれざまぁみやがれって言いながら見てたもんだよ。 ざまぁみやがれ!ざまぁみやがれ!!ざまぁみやがれ!!!・・・・・・・・」

写真・赤と黄色の抽象写真.JPG

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