南天の実 [福岡時代]
私は幼少の頃、南天の実を食べていた。
その時住んでいた福岡の家の裏庭に この季節になるとたわわと生るのを、伸びあがって 小さな手でつまんでは小さな口に放り込んでいた。
別段 美味しくはなかった。 かといって、不味くもなかった。
それは粉っぽくて ちょっと青臭いだけの味だった。
別に、喉にいいと言われるからとか そういった理由で食べていたのではないし、それ以前に、毒ではないという知識すらなかった。
私が南天の実を食べていた理由はただ一つ、「赤かった」からである。
赤くて小さな実には、子供心を夢中にさせる蠱惑があった。
私は南天の実を次から次へと食べることで、自分が小鳥にでもなれる気がした。
深紅の粒を食むことで、ここではないどこかへ羽ばたいてゆける気がした。
食べ了えると、私はいつもの色黒の口数の少ない幼児に戻った。
南天の実は、つかの間、私を 晴れ渡った冬の日の天空に運んでくれる 小さな秘密の装置だったのだ。
その時住んでいた福岡の家の裏庭に この季節になるとたわわと生るのを、伸びあがって 小さな手でつまんでは小さな口に放り込んでいた。
別段 美味しくはなかった。 かといって、不味くもなかった。
それは粉っぽくて ちょっと青臭いだけの味だった。
別に、喉にいいと言われるからとか そういった理由で食べていたのではないし、それ以前に、毒ではないという知識すらなかった。
私が南天の実を食べていた理由はただ一つ、「赤かった」からである。
赤くて小さな実には、子供心を夢中にさせる蠱惑があった。
私は南天の実を次から次へと食べることで、自分が小鳥にでもなれる気がした。
深紅の粒を食むことで、ここではないどこかへ羽ばたいてゆける気がした。
食べ了えると、私はいつもの色黒の口数の少ない幼児に戻った。
南天の実は、つかの間、私を 晴れ渡った冬の日の天空に運んでくれる 小さな秘密の装置だったのだ。