映画「あしたはどっちだ、寺山修司」 [感想文]

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寺山修司のドキュメンタリー映画「あしたはどっちだ、寺山修司」が公開されるというので、早々に劇場に足を運んだ。
監督・相原英雄氏 製作・2017年

私は観映前、いわゆるありきたりのパターンのドキュメンタリー映画だと思っていた。
つまり、近しかった人達の寺山を誉めちぎるインタビューが次々と流れ 昔の映像が挿入され、寺山を神のように礼賛して了る映画だ---と。
しかし、この作品はそれを大きく嬉しく裏切ってくれた。
映画は、一人の少女が寺山の謎を追究するという形で進行し、短歌作品が部分盗作だと騒がれた事や 作品上であたかも現実のように表現されている事が実は虚構だったという事や ノゾキで逮捕された事などの マイナスイメージに受け取られる諸々も 隠されることなく取り上げられていたのである。
インタビューも、天井桟敷に在籍していたかたがたの話のみならず、それまで表に出て来ることのなかった寺山の親戚のかたにマイクを向け、幼かった頃の寺山がリアルに語られる。
そして、寺山の母は、米兵のオンリーさんだったという これまで表向きにされなかった事実が明かされるのである。

又、寺山の仕事全般をまんべんなく追うのではなく、市街劇ノックに特にズームし、どれほど寺山が市街劇にエネルギーを注いでいたかが説かれ、当時の資料映像も長時間流された。
私は、ノックの映像は、以前イメージフォーラムの講座の中で観たものが全てだと思っていたのだが、他にも多数遺されている事が解かり、非常に興味深く吸引された。

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もう一つ、この作品が達作と成っている大きな要因がある。
青森の美しい風景の映像を巧く取り入れ、それがリズムと変化をもたらし、ありきたりの人物ドキュメンタリーの枠を大きく越境しているのである。
人物を扱うドキュメンタリー映画も、映画作品の一つに他ならないのだから、このくらい映像に拘ってくれると、観客も観ていて気持ちがいいものである。

最後に、この作品を観た個人的主観的推察を述べると----
寺山が何故あれほど 現実かと思わせる虚構に執着したかというと、それは、母がオンリーさんをやっていた後ろめたさ・悲しさと そうやって自分を養ってくれている という憎と愛の二律背反にゆきつくのではなかろうか、と思わずにおれない。
二律背反の中に置かれて 身動きの出来ない寺山少年は、嘘を吐くことで せめて虚構の中で母を殺すことで 自身の精神を保っていたのではなかろうか。
そしてその嘘が、寺山個人を突き破り、他者を街を国家を巻き込むことで アイデンティティを勝ち取ろうとしていたのではなかろうか。

「あしたはどっちだ、寺山修司」
相原監督の手腕によって 寺山の深い闇の奥底まで考え至り着地せずにはおれない 人物ドキュメンタリーの大傑作である。
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