浅草・仲見世通りのせんべい屋 [写真]
浅草・仲見世通りに在る古いせんべい屋さん。
構図がキマったので作品として挙げることにしやす。
pc加工は、ほんの少ぅしだけ暖色味を強くしてやす。
みなさん、浅草お好きでやすか?
あっしは大好きで、しばしばふらりと一人で出向きやす。
観光地としてにぎわっている場所より裏浅草のほうに魅力を覚え、いつもあのあたりをうろうろ歩きまわりやす。
そして〆めは、裏からひょいっと出て 居酒屋「ニュー浅草」で瓶ビールを傾けやす。
立川の喫茶店「珈琲はなや」が閉店 [喫茶店・レストラン・カフェ]
以前、過去記事でも紹介しやしたが、東京郊外の繁華街・立川の駅近くに「珈琲はなや」という 昭和の香りに溢れる アレンジコーヒーの幾種類もある 小さな喫茶店がありやした。
それがなんと!二カ月ぶりに訪れたら なくなっているのでやす。
シャッターは閉まっていて内部は覗けやせんでやしたが、イマドキのカフェであるらしい外壁と店名へと変貌してやした。
二カ月前は、閉店の予感など感じさせることなく元気に営業していたので、突然のショックに あっしは店前で へなへなと膝から崩れ落ちてしまいやした。
こういうケースに、あっしは、数限りなく遭遇してやす。
立川の他の店でも 隣町の以前あっしが住んでいた国立でも それ以外の街でも、あっしは幾度 このへなへなを体験してきたでやしょう。
かつては、どこの街のあっちにもこっちにもうじゃうじゃと在った喫茶店が 次々と姿を消してゆくのでやす。
街とは移り変わるもの、物事には了りがあるもの-----それは百も承知でやす。
しかし、あっしは昔ながらの喫茶店でないと 心ほぐれる至福の時を過ごすことが出来ないのでやす。
----そのうち、あっしの心ほぐれる場所は、東京から一つもなくなってしまうかも知れやせん。
そうしたら、あっしの精神は、いったいどうやって生きながらえればよいのでやしょう・・・・・・・・・?
土の上に落ちた枯葉 [写真]
雨上がりの土の上に落ちていた枯葉。
撮ろうという段階から「これは白黒で!」と直感しやした。
撮り帰り、pcでさっそく白黒加工し、コントラストも強くしやした。
コントラストを強くしたことで 遠近感や緩急が際立ってくれ、あっしなりに大納得の一枚に仕上がりやした。
土・・・・・といえば、あっしは幼稚園の頃、土ダンゴを作るのに夢中でやした。
福岡に住んでいたので ちょっと土を掘ると赤土が出て来るために、その赤土を核として 砂をまぶしてじょじょに大きなダンゴにしてゆくのでやした。
みなさんの中にも土ダンゴを作るのが趣味だったかた おられやすか?
家庭教師との思ひ出 [独り言]
小学四年から高校三年までの間、入れ替わり立ち替わり 延べ人数にするとかなりの人数の大学生の家庭教師に、学科の勉強を教えに来てもらっていた。
大学生と子供 といえども人間対人間なので、相性の良い人とそうでない人がいた。
中、すば抜けて良い人がいた。 私が中学二年の時だった。
-----その人は、津田塾の女子大生だった。
物静かな性格で、いつも およそ若い女性が着るものとは思えないような地味で野暮ったい服に身を包んだ ぼってりとエラの張った不美人だった。
私とは内向的な大人しい性格同志であることと 彼女が少しも年上ぶらない謙虚な人だったということから 意気投合した。
休憩のお茶の時間に、日曜日に原宿で求めたアクセサリーを自慢気に披露したり、津田塾の学園祭に呼ばれてトコトコと出掛けたり、たこ焼き器を買ったのでおいでと招かれ 彼女のアパートまで遊びに行ったり、お洒落のしかたが解からないから連れて行って教えてほしいと頼まれ 原宿を案内したりもした。
原宿では、私の行きつけの喫茶店や服屋やアクセサリー店をひと巡りした。
彼女は、この店にこんなものが売られていたのか?!と驚くような 地方の小さな町のスーパーにありそうな手袋を選び出し 購入していた。
彼女は今頃、いいおばあちゃんになっているだろうか?
孫に囲まれ 静かに笑っているだろうか?
元気にしていてくれたら 嬉しい。
ブロックのかけら [写真]
夜、住宅街の駐車場の前を通ったら、ブロックのかけらが街路灯に照らされていたので、撮ってみやした。
と、ブロックがちょっと端っこに寄りすぎてしまいやした。
「待てよ、いっそこれを逆手に取って、負の感情を出してみようじゃないか!」と、あれこれpc上で加工してみやした。
結果、どんよりとした緑色にしやした。
孤独感 不安感 辛さ といったような感情が伝われば 幸いでやす。
一方、現実のぼんぼちは、一人で行動することは非常に好きでやす。
ふらりと路線バスに乗って適当な街で降り、喫茶店見つけてくつろいで 夕方になると安い中華屋探して一人飲み・・・・・至福の一日でやす。
みなさんは、お一人で行動すること、お好きでやしょうか?
吹き寄せの時節 [独り言]
今年も秋が深まり、住宅街のそこここに吹き寄せを見る時節となった。
私は吹き寄せが好きである。
吹き寄せを見つけると、幼い子供のように駆け寄り すり足で落ち葉を蹴散らしながら、赤や黄や榛色の葉色や 履物に当たる儚い感触や カサカサという軽い音や 立ちのぼる乾いた匂いをいっぱいに楽しむ。
私は自分のこの所作を、傍を歩く人に見られてもどうとも思わないが、稀に その場から消えてなくなりたい状況に遭遇する。
それは----
意識を足元に集中させすり足の歩をすすめると 竹ぼうきが見え、そのまま視線を辿り上げると 落ち葉掃きをしている人がいる場合である。
恥ずかしさと申し訳なさのあまり、モミジの葉っぱのように真っ赤な顔になってしまう。
私は吹き寄せが好きである。
吹き寄せを見つけると、幼い子供のように駆け寄り すり足で落ち葉を蹴散らしながら、赤や黄や榛色の葉色や 履物に当たる儚い感触や カサカサという軽い音や 立ちのぼる乾いた匂いをいっぱいに楽しむ。
私は自分のこの所作を、傍を歩く人に見られてもどうとも思わないが、稀に その場から消えてなくなりたい状況に遭遇する。
それは----
意識を足元に集中させすり足の歩をすすめると 竹ぼうきが見え、そのまま視線を辿り上げると 落ち葉掃きをしている人がいる場合である。
恥ずかしさと申し訳なさのあまり、モミジの葉っぱのように真っ赤な顔になってしまう。
カフェ「FLAっと」の天井 [写真]
しばしば立ち寄る西国分寺のカフェ「FLAっと」の天井。
天井板を嵌めないで白く塗った意匠が開放的でやすね。
ちょうど座った席から照明器具がいい構図に切り取れるように下がっていたので 思わずスマホを向けやした。
あっしには珍しく、爽やかさのある一枚に仕上がったと思っておりやす。
みなさんは、カフェと喫茶店の違いって どう認識されてやすか?
正しくは、店主が「カフェ」といえばカフェ、「喫茶店」といえば喫茶店なんでやすが、あっしは店主の自認に関わらず、あっしならではの認識で言い分けてやす。
それは----
「昔ながらの」という枕詞をつけてしっくりくるのが「喫茶店」で、「イマドキの」をつけてハマるのが「カフェ」。
いかがなものでやしょう。
酒の強さの自己認識 [独り言]
ある人が、「俺、酒 弱いんですよ。 もぅほんとに弱くって」と困った様な口調で言うので、何をどれ位飲むのが自身の適量なのかと尋ねると、「瓶ビール大瓶十二本くらい」という答えが返ってきた。
また別の人は、「僕、すごく強いですよ! だから、飲む量、あなたと全然違うと思いますよ」と 自信ありげに胸を張った。
果たして、「レモンサワー四杯」ということだった。
この様に、自分自身が酒を「強い」「弱い」と思っている程度と 世間一般の基準がはなはだ違う という事はしばしばある。
食べる量ではこういう事はない。
「私、すっごく大食いなんですよ! カフェのランチプレート、半分も食べられちゃうんですよ」とか 「俺、少食で少食で、ラーメンの替え玉、八皿しか出来なくて」などという人にはまず出逢わない。
何故、酒に関してだけ、これほど自己認識と世間一般の基準が違うことが多いのだろうか?
酒は「これが一人前です」として出される形をとっていないからだろうか?
一緒に飲む仲間内の間でだけ比較をしている人が少なくない ということなのだろうか?
強いにしろ弱いにしろ、世間一般の基準とかけ離れ過ぎている自己認識は、その人の世間に対する視野の狭さを知るばかりで 聞いていて気分のいいものではない。
私が人に尋ねられたら----
「それほど強いわけではありませんが、まぁまぁ飲めます」と答えている。
私の適量は、瓶ビール大瓶一本と焼酎のお湯割り又は赤ワインを二杯である。
世間一般の基準からかけ離れていないつもりであるが、いかがなものだろう?
売れ残りのリンゴ [写真]
安売りのスーパーの店頭で不均一に売れ残っていたリンゴ。
これは構図としてキマるものが切り取れるかもしれない!と 思わずスマホを向けやした。
果たして、あっしなりにでやすが、なかなか気に入った一枚が完成しやした。
このリンゴの種類は紅玉でいいのかな?
紅玉は、焼きリンゴやアップルパイにすると美味しいでやすよね。
シナモンを効かせたりして、これからの季節にぴったりのスイーツでやすね。
おせちを予約する [独り言]
毎年おせちは、デパートの地下でお重を購入している。
秋にあらかじめ予約しておくか 大晦日になってから売り場で見つくろうかのどちらかである。
けれど昨年は、デパートの在る吉祥寺の街のごったがえす中に身を置くのが大儀で、買わずに 地元・西荻窪のスーパーで 日常食しているもので済ませてしまった。
果たして、何だか 私の所にだけ正月が来てくれないようで、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。
だから、今年は早々に予約をした。
東急デパート吉祥寺店のカタログに載っていた魚三楼という 京都の老舗料亭のものである。
一人用の重であることと 私は味覚形成期に九州で過ごしたので西日本の料理が舌に合う という理由から、この一品にした。
せっかく東急デパートまで行くのだから、売り場で 大好物のクチナシで黄色く染めた慈姑を煮たものと生麩を炊いたものなども買ってこようと考えている。
来年は、私の所にも正月が来てくれることは間違いない。
安心であるのと同時に、子供のように単純にちょっと待ち遠しい。
秋にあらかじめ予約しておくか 大晦日になってから売り場で見つくろうかのどちらかである。
けれど昨年は、デパートの在る吉祥寺の街のごったがえす中に身を置くのが大儀で、買わずに 地元・西荻窪のスーパーで 日常食しているもので済ませてしまった。
果たして、何だか 私の所にだけ正月が来てくれないようで、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。
だから、今年は早々に予約をした。
東急デパート吉祥寺店のカタログに載っていた魚三楼という 京都の老舗料亭のものである。
一人用の重であることと 私は味覚形成期に九州で過ごしたので西日本の料理が舌に合う という理由から、この一品にした。
せっかく東急デパートまで行くのだから、売り場で 大好物のクチナシで黄色く染めた慈姑を煮たものと生麩を炊いたものなども買ってこようと考えている。
来年は、私の所にも正月が来てくれることは間違いない。
安心であるのと同時に、子供のように単純にちょっと待ち遠しい。
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