人間、明日はどうなるか解らない [独り言]
「人間、誰しも 明日はどうなるか解らない。明日 死んでしまうかも知れない。」
子供の頃や学生時代や大人になってから、友人知人と話の流れで生死観の話題になり、私がこの様な事を発すると「何バカな事言ってんのよ!そんな筈ないじゃん!」と嘲笑されたり「僕は何事もなく平均寿命まで生きるんです!僕にはそれが当たり前なんです!」と威圧的に主張されたりと、今まで出逢った全ての同世代の者に 私のこの考えは全否定されてきた。
私はその度に「はぁ、、、一体全体何の根拠があって、そんな現実ととんでもなくかけ離れた未来を確信出来るのだろう?」と心の中で大きな疑問を抱き 溜息をついてきた。
何故、私はこれ程 他の同世代との間に生死観の隔たりがあったのか、三十才を過ぎて気がついたのだが、私は物心ついた頃から母親に毎日虐待されていて「今日は生きていたけれど明日は殺されてしまうかも知れない」という恐怖の中で育ってきたからだと判った。
しかし、母親に殺されてしまう可能性というのは、私の死の可能性の一つに過ぎず、舗道を歩いていたら車が突っ込んで来て轢かれてしまうかも知れないし、隣家のもらい火で家が全焼し 焼死してしまうかも知れないし、突然 余命三ヶ月の重病を宣告されるかも知れないし、強盗に入られて 口封じの為に刺殺されてしまうかも知れないし、気の狂った通り魔に 金槌で頭をかち割られてしまうかも知れない。
つまり、私は他の同世代の者より一つ死の可能性を多く持っていただけであり、他の同世代、否 世の中の殆どの人だって、これらに代表される死の可能性に常にさらされているのである。
ーーーだから何で、その可能性の現実を直視せずに生きているのか、不思議で仕方がなかったのだ。
けれど、今回のコロナ騒動によって、世の中の多くの人の中に「死は他人事じゃない。明日は我が身かも?」という認識が芽生えた。
その様な認識の元に、感染しない為に 又 させない為に、細心の注意を払って生活するのは非常に望ましい事だと感じている。
だがーーー
コロナ騒動が収束してコロナウイルスを世界から撲滅出来たとしても、我々が、明日 又は近い将来、死んでしまう確率はゼロになる訳ではない。
上述その他のあらゆる要因によって、誰しも いつ死んでしまうか解らないのである。
コロナが去ったら「コロナで死ぬという可能性」が無くなるだけである。
コロナ収束後、再び「何バカな事言ってんのよ!」「僕は何事もなく平均寿命まで生きるのが当たり前!」といった非現実思考者が増殖するか、今回の惨事を肝に銘じて 私と同じ現実正視者となるのか、私には知る由もなく、人の生死観は人それぞれであり、その人の好きな生き方をすればいいと思うし、私は私の生き方を貫き通すのみである。
私は、私が二十七才の時 母親が予期せぬ病でパタリと死んでくれたので、以降 大草原を全力疾走するが如くに、やりたかった事をむさぼる様に 一分一秒を惜しんでやってきた。
美容に多大なエネルギーを注ぐ事、ファッションを存分に満喫する事、映画と演劇をそれぞれの研究所に通って学ぶ事、カクテルの知識を得る事、好きな音楽を聴き 好きなミュージシャンのライブに行って踊る事、好きな作家の小説・随筆を何十回も読む事、ブログを通じて 吐露したかった事を吐露する事、、、、、
よって、五十七才と十ヶ月の今現在、人生でやり遺した事は、もう ない。
いつ死んでも、悔いは遺らない。
ただ、苦しんで死ぬのは嫌だが。
それから「これが出来なくなってまで生きていたくない」という事が二つある。
美容への全力投球とファッションの満喫は、生きている限り続けたいので、この二つが出来なくなってまで生きていたいとは思わないのだ。
私の尊敬する 知の巨人・立花隆氏は、ご自身のがん体験記の中で「僕は(知に対しての欲求が人並み外れて強いので)公私共に 高度な知的作業(執筆や読書)が出来なくなってまで生きていたいとは思わない」と書かれていた。
私は、美容・ファッションへの欲求が人並み外れて強いからこう思うので、立花氏の気持ちが痛いほど良く解る。
子供の頃や学生時代や大人になってから、友人知人と話の流れで生死観の話題になり、私がこの様な事を発すると「何バカな事言ってんのよ!そんな筈ないじゃん!」と嘲笑されたり「僕は何事もなく平均寿命まで生きるんです!僕にはそれが当たり前なんです!」と威圧的に主張されたりと、今まで出逢った全ての同世代の者に 私のこの考えは全否定されてきた。
私はその度に「はぁ、、、一体全体何の根拠があって、そんな現実ととんでもなくかけ離れた未来を確信出来るのだろう?」と心の中で大きな疑問を抱き 溜息をついてきた。
何故、私はこれ程 他の同世代との間に生死観の隔たりがあったのか、三十才を過ぎて気がついたのだが、私は物心ついた頃から母親に毎日虐待されていて「今日は生きていたけれど明日は殺されてしまうかも知れない」という恐怖の中で育ってきたからだと判った。
しかし、母親に殺されてしまう可能性というのは、私の死の可能性の一つに過ぎず、舗道を歩いていたら車が突っ込んで来て轢かれてしまうかも知れないし、隣家のもらい火で家が全焼し 焼死してしまうかも知れないし、突然 余命三ヶ月の重病を宣告されるかも知れないし、強盗に入られて 口封じの為に刺殺されてしまうかも知れないし、気の狂った通り魔に 金槌で頭をかち割られてしまうかも知れない。
つまり、私は他の同世代の者より一つ死の可能性を多く持っていただけであり、他の同世代、否 世の中の殆どの人だって、これらに代表される死の可能性に常にさらされているのである。
ーーーだから何で、その可能性の現実を直視せずに生きているのか、不思議で仕方がなかったのだ。
けれど、今回のコロナ騒動によって、世の中の多くの人の中に「死は他人事じゃない。明日は我が身かも?」という認識が芽生えた。
その様な認識の元に、感染しない為に 又 させない為に、細心の注意を払って生活するのは非常に望ましい事だと感じている。
だがーーー
コロナ騒動が収束してコロナウイルスを世界から撲滅出来たとしても、我々が、明日 又は近い将来、死んでしまう確率はゼロになる訳ではない。
上述その他のあらゆる要因によって、誰しも いつ死んでしまうか解らないのである。
コロナが去ったら「コロナで死ぬという可能性」が無くなるだけである。
コロナ収束後、再び「何バカな事言ってんのよ!」「僕は何事もなく平均寿命まで生きるのが当たり前!」といった非現実思考者が増殖するか、今回の惨事を肝に銘じて 私と同じ現実正視者となるのか、私には知る由もなく、人の生死観は人それぞれであり、その人の好きな生き方をすればいいと思うし、私は私の生き方を貫き通すのみである。
私は、私が二十七才の時 母親が予期せぬ病でパタリと死んでくれたので、以降 大草原を全力疾走するが如くに、やりたかった事をむさぼる様に 一分一秒を惜しんでやってきた。
美容に多大なエネルギーを注ぐ事、ファッションを存分に満喫する事、映画と演劇をそれぞれの研究所に通って学ぶ事、カクテルの知識を得る事、好きな音楽を聴き 好きなミュージシャンのライブに行って踊る事、好きな作家の小説・随筆を何十回も読む事、ブログを通じて 吐露したかった事を吐露する事、、、、、
よって、五十七才と十ヶ月の今現在、人生でやり遺した事は、もう ない。
いつ死んでも、悔いは遺らない。
ただ、苦しんで死ぬのは嫌だが。
それから「これが出来なくなってまで生きていたくない」という事が二つある。
美容への全力投球とファッションの満喫は、生きている限り続けたいので、この二つが出来なくなってまで生きていたいとは思わないのだ。
私の尊敬する 知の巨人・立花隆氏は、ご自身のがん体験記の中で「僕は(知に対しての欲求が人並み外れて強いので)公私共に 高度な知的作業(執筆や読書)が出来なくなってまで生きていたいとは思わない」と書かれていた。
私は、美容・ファッションへの欲求が人並み外れて強いからこう思うので、立花氏の気持ちが痛いほど良く解る。
タグ:生死観 人はいつ死ぬか解らない
今朝も新しい「生」が始まり、そして「死」に近づいていく。
生涯、生き甲斐を持って過ごすのが大事なのかなと思います。
by 風太郎 (2020-04-24 06:17)
ほんと、私もそんなに若くないし、あと何年生きられるかと考える時もあります。
by 川鮎くん (2020-04-24 06:46)
自分も今年退職を迎え、いつ倒れるか?
そんな気持ちで、これからやりたいことやろうと思った矢先、新型コロナウイルスの影響で今は我慢です。
時間がないかもと少し不安を感じてます^^;
by KINYAN (2020-04-24 07:12)
おはよーございます。死ぬかも?殺されるかもそう思いながら危機的環境で成長日々生活して来られたぼんぼちさまには命の危機感は常に抱いて生きて今万人の人にそんな意識が隣併せのご時世。与えられた命限りなく続く訳ではないんだけど人の命。人のことも考えて行動する意識高く持った人多いと思う。好きなことが出来なくなっても命ある限り与えられた時間が少なくてもただ生きてるそれだけでも多いに命は重たいのですよ。自由に行動出来なくても今を精一杯大切に時を重ねて行こう。とは言え早くこの疫病失くなって欲しいわ。
私にとって今お釣みたいな人生除菌手洗いしながら57歳まで来れたんだーと噛みしめてます。
by みうさぎ (2020-04-24 07:38)
人って、この世に生を受けた時から 寿命は決まってるらしく
その寿命を 伸ばそうと思っても やっぱり、そこが寿命で・・
それが 今日かも 明日かも・・・生き死には誰もわからない
だからこそ 毎日を一生懸命生き抜く・・・・
ただ コロナで亡くなると感染予防のため
死に目にも会えず 骨になって帰ってくる・・だけは
避けたいものである・・・最後のお別れで あきらめがつくのに
会えないと思うと やるせない気持ちでいっぱいです
まるで現場は 映画の様と・・推測されます
by もーもー (2020-04-24 07:47)
『死は常にそばにある』とずっと思ってきました。
どこか悪くなったり事故に遭ったりしていつ命を落とすか分からない。
それはスイッチがオフになる様に。
毎日どこかそんな事を思いながら薬を飲んでいます。
by kame (2020-04-24 07:58)
おはようございます!
考えるのも本当は嫌なんですが、現実のこととして
少しずつ意識し始めています。
by Take-Zee (2020-04-24 08:09)
ぼんぼちぼちぼち様
おはようございます
いつ自分に死が訪れるかわからないが、現在関わっているものの整理をしてからにしてと安易に毎日を過ごしていました。
コロナでいつ自分もあちらの方に招かれるのかわかりません。
心して行動します。
昨晩の眠り際にどの段階で眠りに落ちるのか見極めてと意識しながらもいつの間にか心地よい眠りに入っていました。いつもは、考える暇もなく爆睡するのですが・・・
幼い頃から続いている
by hirometai (2020-04-24 08:42)
父が亡くなった時に私の中で
「物事には終わり必ずある」
という観念が備わったように
思います。
やっての後悔とやらない後悔、
どっちをとるか、と言うと
やっての後悔ですし。
ぼんぼちぼちぼちさんのように
『これが出来なくなってまで』
と言うほどの熱いものはないの
ですが、やはり「生きていて、
行動に移せてこそ」と思います。
by あとりえSAKANA (2020-04-24 09:58)
こんにちは。
身内の死や友人・知人の死に直面して、人間の儚さを感じます。
死は身近なものですが、精一杯生きる事しかないです。
後悔なしに死を受け入れることは「無」と感じています!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2020-04-24 10:30)
「死」は人を選びませんし、病もまた同じでしょうね
一期一会を心に刻み付けたつもりでも毎回つもりで
後悔するとの方が多いデス
今なら猫たちの最後は看取ってから逝きたいですかねぇ…
人に迷惑を掛けないで逝けたら良いなぁとは思います
by りみこ (2020-04-24 11:06)
私も人はいつ死んでもおかしくないと思ってます。
余命宣告された数分後に事故で命を落とすかもしれない。
自殺しても助かることもあるので
人はいつ何で死ぬかは選べないと思ってます。
by ごま大福@まろ (2020-04-24 11:23)
断捨離後三年ほどが経ちました・・・
そろそろもう一回断捨離かぁ~~!!!というほど
あっという間に物が増えてしまいました。
墓場に物は持っていけません。残された人が困るだけです・・
これから増やすのは知識と経験だけにしたいと思いつつ
平々凡々に過ごしてきました。
これから先、平々凡々と暮せる日が戻ってくるのでしょうか・・・
by Rchoose19 (2020-04-24 12:44)
岡江さんが亡くなったとき、ご主人の大和田さんは病状が悪化してからあっという間だったと言われていて、いつ明日は我が身か分からなくなりました。やり残した事。
新潟県の粟島とか飛島(野鳥のメッカ)にまだ行けてない。です。
by ヤマカゼ (2020-04-24 12:47)
子供時代・虚弱児だったのに・・・灰汁が抜けた??
八十路半ばでも・ピンピン~~の一人暮らしを^^
長男が海外麩任を終えて帰ってくるまでは元気で居たいな(*'▽')”
by 侘び助 (2020-04-24 13:12)
明日何がアルか分からない!…まさに、まさに(激しく同意)!!
by トモミ (2020-04-24 13:29)
僕は心臓発作で何度も救急車で搬送されているので、その度に死を覚悟しています。
しかも、心臓発作はいつ起きるか分からないので、つまり、あと数時間後には死んでいるかもしれないことになります。
がんの告知もされたし、手術もしたし、死は、すぐ目の前にあるものです。
だから、新型コロナで重症化で死者が増えると、次は自分だ、という考えが脳裏をよぎります。
by とし@黒猫 (2020-04-24 15:06)
今でも時々連絡を取る年上の友人のお父さんが 今年になって
ご逝去されて友達はひとりきりになってしまい 今いろいろな整理を
されていて大変だと手紙をいただきました。私は兄弟がいるから心強いと正直思ったのですが 友人は一人っ子。今はこんな時期だから 逢いに行って もし私が出来ることで手伝うことが出来たら!と思いを巡らせるのですが出来ないのがとても歯がゆくて。。。
私も同世代 親に面倒もあるし もし親が もし自分が 今・・・なんて(そんな気は毛頭ないけれど)思っちゃうと考えることがいっぱい。他人事ではないと思う毎日。
親は今 心を病んで ぼんぼちぼちぼちさん仰られるように これまで半世紀以上やってきた仕事が出来なくなるということが いろいろな葛藤の中のひとつとして心を痛めるわけなんですね。どうか今は何か仕事でなくとも 目標を見つけてくれればと思うんです。今こんな時期ですし 多くの人が身体はもちろんのこと 心を病むことが心配です。☆彡
(今回の 黒いメッシュ状のものに囲まれた 薄緑のものは何なんだろう?^^ 80年代流行った ”レイトングリーン”/<レイトンハウス> と呼ばれる色が好きなんです。ふと思い出しました。^^)
by ゆうのすけ (2020-04-24 15:35)
私は、昔から
どちらかと言うと
いつ死ぬかわからない
という意識を持って生きてきました。
きっと、飛行機に乗ることが多かったからでしょう。
今でも、飛び立つ時に
これが最後かも?
という意識があります。
by 八犬伝 (2020-04-24 16:07)
ご近所に住んでいた未だ70にも届かないおばちゃんが先週亡くなりました。特に持病は無い人で、夕食後旦那さんは一人で晩酌してウトウト。そのおばちゃんは夕食の片付けを終えてソファでウトウトしていたようで、先に起きた旦那さんがその姿を見つけ、声を掛けたが動かず、救急車を...。診た医者によれば、苦しまずに、スーッと意識が消えたようだと。診断はそのまんまの心停止。基礎疾患は無くても、急に亡くなることがあるんですね(>_<) 皆さん、大草原を好きなだけ全力疾走しましょう!!
by yokomi (2020-04-24 16:32)
死はみじかにあるはずですが普段は忘れています
今回のコロナのことである程度自分の身にも危険が
迫り死を考えることも多くなっていますが・・
年齢を重ねるにつれ自分の健康に自信がなくなっています。自分が自由に好きなことができなくなったら
私ならどうするかな できることを見つけるしかないかな
by きよたん (2020-04-24 16:36)
子供の頃に友人を亡くしたり、近しい人が自殺してしまったり、結構「死」が身近にあったので、昔から明日は必ずやってくるものではないと思いながら生きてきた感はあります。
今は猫をちゃんと見送ることができたら思い残すことはありません^^
by ゆきち (2020-04-24 17:19)
「朝の紅顔、夕の白骨」という言葉があるように、様々な事故や事件で人が亡くなったり、友人や身近な人が亡くなったりしても、悲しさは感じるものの、それを自分の身に引き受けて考えることはなかったような気がします。
今回コロナのまん延の中にいて、ようやく人間はいつ死ぬかわからないと感じるようになりました。でも、これからもいっぱいしたいことはあるので、死にたくないです。命のある限り、やりたいことをやっていこうと思います。
by coco030705 (2020-04-24 17:56)
いつ何が起こるかわからないので、
いつ死んでもおかしくないと思ってますが、
とりあえず「何が何でもニャンズの最後を看取るまでは
絶対にかみさんか私が生きていなきゃ!」と話してます^^
by ニッキー (2020-04-24 18:04)
四年前に仲の良かった同級生が急逝し、一昨年は離ればなれになっていた肉親が無くなりました。病気と自死との違いはありましたが、人間はいつ何があるか分からないと思いました。
現在の自分はお気楽そうにブログを書いていますが、本当は結構窮地に立ってるんですよ。でも生きてます(^_^;)
by kou (2020-04-24 18:47)
先日、アラ還オヤジ仲間のお母様が、急変されて、何とか命を取り留めましたが、食事が出来ないようになりました。
ただ、まだ生きていたいという希望が強かったため、胃瘻を作って栄養はそこから摂るようになったそうです。
世の中いろいろな方がいらっしゃいますが、それぞれ、頑張って生きているのですね。
by ヨッシーパパ (2020-04-24 19:09)
こんばんは。この問題に関してはいくら議論しても
生きている限り尽きないでしょうね。その国のお国柄や
法律によっても考え方が変わりますよね。少なくとも
我々は今「生きている」のですから時間を無駄にしないで
と言って無駄にしてますがしっかり生きていきましょう。
とりあえず落ち着いたらオフ会したいですね。
by kick_drive (2020-04-24 19:42)
うっすらとは考えていましたが、
10年ほど前に友人を30歳で亡くしてから
死は他人事ではないことを強く意識しました。
自分が死んでもそれほど悔いはないかも
しれませんが、死によって周囲の人が
いなくなるのが怖くなりました。
by フヂ (2020-04-24 19:54)
できれば
ソフトランディング
で・・・笑って死んでいきたい
by taku1_lily (2020-04-24 20:08)
自分が死ぬ可能性を考えないのは、考えたくない、縁起がよくない、みたいな気持ちがあるのでは。
今も自分は関係ないみたいな気分で動き回っている人、なんなんでしょう?^^;
私は若い頃病気がちで、それがいつまで続くかわからなかったから…
こんなんで生きていると言えるのか?生きていていいのか?という気持ちもありました。
それなりに予想を超えるほど様々な経験を経たので、後悔はありません。希望としては「すごく長生きはしなくていいけど、人もうらやむ大往生をしたい」です。
親を見送る過程で、命は燃やし尽くしたら枯れるのが自然なものだと思うようになりました。どこから衰えるかは人によって違うので、それは選べないかも。でも結局はその人らしい…のかも?
人一倍元気な友人が突然エコノミー症候群で亡くなり、手伝いに行ったら、家の中がものすごくスッキリ片付いていて…
今のままでは自分は死ねない!と思った^^;
by sana (2020-04-24 20:51)
いつ、物語が突然終わってしまうかもしれない、いつ、突然の永遠の別れがくるかもしれない、そうして思いは脳裏にいつもあります。
by mayu (2020-04-24 20:56)
人生、一寸先は闇・・・です。
・・・平均寿命まで生きるのが当たり前!。こういう人いますね。
以前、宇宙人は絶対いない。。と言う人がいました。
じゃ~、何故地球人はいるの?だから田の星にも宇宙人がいるんじゃ無い?
と聞いても宇宙人は絶対いないと言い張る。。
何を根拠にして言っているのか分からない人でした。(^▽^)
by 横 濱男 (2020-04-24 21:34)
最後までやりたい事。私は美味しいものを食べる事と読書かな
by mau (2020-04-24 22:04)
「人間、明日はどうなるか解らない」
仰る通りだと思います。
ぼんぼちぼちぼちさんのように
「いつ死んでも、悔いは遺らない。」と
言えるくらいに
私も人生全うしたいと思います。
by たじまーる (2020-04-24 23:06)
生き物なんていつ死んでもそれが寿命、、そんなものと思います。
周りに否定する者がいなかったのは、恵まれているのかもしれません。
でも、そういうのをいちいち否定する人って
例えば今のコロナ騒ぎでも、自分は自粛とは無縁だ、とか
自分は罹らないとか思っちゃうような人なのかなーって思いました。
by Ja-Kou66 (2020-04-24 23:44)
時々ふと死ぬのが怖くなることがあります。
中学生のころから時々やってくるんです。
あぁ、こんなこと書いてると、またきそうだ(^_^;)
by werewolf (2020-04-25 00:34)
かつて、はなまるマーケット毎日見ていたので岡江久美子さんの新型コロナ肺炎での突然の訃報は大ショックでした。どんないい人でも襲ってくるのですね。病気も、事故も、災害も・・・。私は最近は死にたい願望はお薬が効いているのか感じませんが、不安感も鈍感になっていて気持ちは楽です。
by 這い上がるママ (2020-04-25 07:26)
ぼんぼちさんの「人間、明日はどうなるかわからない」
と言う説に
「誰一人賛同しなかった」
と言うのが信じられません。
「明日どうなるのかわからないけど、それならが余計に
悔いのないよう全力で生きていよう。」
とならないのも不思議です。
祖父母や親など、愛する身近の人たちの具体的な死を通して、
「明日は我が身」
を誰しもが学習していくものと思います。
「学習程度」に個人差は出てしまうでしょうが。。
by 向日葵 (2020-04-25 07:53)
死生観・・・人によってそれぞれ違うのでしようね。
先日の岡江久美子さんの死去は本当に驚きでした。
コロナではだれがかかってもおかしくないし
同じように命をなくすこともあると実感でした。
私も癌の手術とそのあとの経過が辛くていつも命の
終りを意識していました。
岡江さんの死去は多くの人に驚きとコロナのこわさを
知らしめたと思います。
哀しいけれどご冥福をお祈りするしか・・・
by yoko-minato (2020-04-25 10:17)
母親が我が子を殺すことは、想像できないのですが、
今日の新聞に、4歳の男の子を母親が虐待死させたと報道していました
よく読むと、同棲の男がいたので、邪魔になったのが真相でしょう。
by kohtyan (2020-04-25 11:04)
みなさん
真摯に各々の生死観を書き込んでくださってありがとうございやす。
やはり、病気がちだったかたや早くから身近な人を亡くされていると 特に死を現実的に受け止めざるを得ないでやすよね。
あっしは、27才まで好きに生きられなかったから、それまで「自分、何のために生まれてきたんだろう?今死んだら自分の人生、マイナスしかない。やりたいことをやるまで死にたくないっ!」って強く思ってたんでやすよ。
で、27才からは、爆発的にやりたいことを順々に謳歌してきやした。
演技のレッスンなどでは、「趣味で来てるのになんでそんなに真剣にやるの?」と鼻白まれたこともありやした。
でも、「明日、事故で死んじゃうかも知れない」っていう気持ちがあると、一レッスン一レッスン全身全霊で勉強せずにはいられなくなるし、家でも毎日3時間は自主練してやした。
ただ、これはあっし個人の生き方であって、「人間明日はどうなるか解らない。明日、死んでしまうかもしれない」は現実だけれど、全ての人が人生に悔いなく全身全霊で生きるべきだとは思ってやせん。
そこは人それぞれ自由に選ぶ権利があると思いやす。その人の人生なのでやすから。
ぽーっとただなんとなく生きていたいんだ、というのも、勿論その人の生き方の選択肢の一つでいいと思いやす。
ペットや老いた家族を看取るまでは自分は死にたくはない、と強く思われているかたも多いようでやすね。
そのお気持ち、よく解りやす。
あっしも今、もし猫を飼っていたらそう思うと思いやす。
この段階で、コメント欄に「私に限ってはコロナなんぞに絶対かかりません。私は平均寿命まで普通に生きるんです!」というかたがいらっしゃらなくて、ああ、みなさん、現実をしっかり見据えていらっしゃるな、と思いやした。
記事内に書いたように、あっしの言ってることが現実なのに、今までそれをことごとく全否定されてきたんでやすよね。
「ここにトンチンカンなバカが1人いるよ〜」ってな扱い受けてきやした。
嘲笑してきた人達、今はどういう生死観になっているのか、知りたいでやすね。
なるほど、現実を直視したくなかったから、、、そうかも知れやせんね。
でもこの問題に関しては、「排水溝の汚れ、見なかったことにしよう」と同じレベルで済まされることじゃないでやすよね。
現実から目をそむけている人って、じきに自分の死が来る状況になったときに、あれもこれももっと全力投球でやっておけば良かった、ってすごく後悔するんじゃないかって思うんでやすよね。
後悔しても、目をそむけて生きてきたその人のせいでやすからね。
病気で余命三ヶ月を宣告されても数分後に死んでしまうかも知れない、、、まったくその通りでやすよね。
その病気で死ぬ可能性が三ヶ月後なのであって、他の要因はいつ来るか解らないでやすもんね。
この問題は議論が尽きなく国によって違う?、、、「人間いつ死ぬか解らない。明日、否 数分後には死ぬかも知れない」これは全世界の人類全てに言える現実でやすよ。
違って議論が尽きないのは、自死を認めるか、とか 死んだ後はどうなるか、とか そこでやしょ。
で、国によってというより、宗教によって、でやしょ。
あっしは無宗教者なので、自死する権利も自由にあると考えてやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-04-25 12:09)
あ、画像は、神保町の裏通りで見つけた外壁の一部でやす。
普通の住宅ではなく、何かの事務所のようでやした。
今回の記事は決して明るいテーマではないので、こういった硬質な画像が合うと思い、付けやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-04-25 12:23)
高齢者である母を預かっている身としては
寿命と言うものは身近です。
また今回の新型コロナは病気の自分には
非常に致死率が高くなるためビビっています。半面大丈夫じゃないかな?という楽観的観測も
持っています。
田舎者ですから^^;
by サンダーソニア (2020-04-25 13:36)
人間いつ死んでもおかしくないと理解していても
疾病などで、生存年数にリミットがかかる場合を除いて、多くの人は齢を重ねると惰性に流されながら生きがちになると思います。
人生、振り返って「あ~、自分は自らができる範囲で可能な限り、思う存分に生きてきたな~」と振り返えることができたら、途中の不運、幸運にかかわらず、最高の人生だったとあっしは思いやす~^^
by ロートレー (2020-04-25 17:25)
生まれてしまったからには、いつか死ななければなりません。
ともかく生ある限りは、自分の人生を生きていくしかありませんね。
by そらへい (2020-04-25 21:35)
急ぎ足で死が近づいていると実感します。自分の寿命を静かな心境で受け入れたいものです。
by JUNKO (2020-04-25 22:04)
僕は去年の今頃は
「自分の母親を看取ることが出来たら、いつ死んでもいい」
そう思って生きていました
しかし昨年思いもかけず可愛い子猫を家族に迎えることが出来て
「このコの猫生は僕がちゃんと見届けよう」と思う事ができました
平均15歳と言われているようなので
15年はしっかり一緒に生きていかなくちゃ!
by 藤並 香衣 (2020-04-25 23:15)
私の場合若い頃は死などほとんど意識せず
少なくとも70歳過ぎたら意識するものと思って
生きて来ましたが実際は40歳過ぎて徐々に意識
する様になって来ました。今はもうもしかしたら
明日起こるかもと恐怖感も増しております(;^ω^)
なので後悔の無い様に好きなことは経済が許す限り
やっておこう、気楽にゆる~く生きようと考えを変え
今に至っています(笑)
by ゆるキャラ (2020-04-25 23:21)
みなさん
そう、人間、生まれたからにはいつかは必ず死ぬんでやすよね。
生まれた、ということは、その時点から死に向かって行進しているようなものなのでやすよね。
若い頃っていうのは、身近に死んだ人がいたとしても おじいちゃんおばあちゃんただけだったりすると、死が「明日 自分に突然来るものかも知れない」という現実感が薄いのかも知れないでやすね。
確かに、若い人は年を取った人より死ぬ確率というのが低いのは確かなんだけど、ゼロじゃないでやすもんね。
女性はお産で死ぬことだってあるし。
あと、バイクに乗る男の子はバイク事故で死ぬ確率って、かなり高いと思いやす。
あっしは、二輪も四輪も免許すら持ってないんでやすが、車に乗るのが物凄く怖いでやす。
車の事故の確率って飛行機事故の確率よりずっと高いんでやすよね。
だから、お付き合いをしたいと言ってきた男性が、車好きで一緒にドライブに行きたい、っていう人だった場合は、その時点でお付き合い断ってきやした。
路線バスに乗るのはそれほど怖くないけど、タクシーものっぴきならない事情がない限り乗りやせん。
あっしは記事本文に書いたように、もういつ死んでも悔いはないとは思っているものの、自動車事故での死って、悲惨な見てくれになるから、自動車事故で死ぬのは嫌だなあ。
守らねばならぬ人や動物がいるかたは、その人・動物を看取るまでは、って思いやすよね。
運悪く死なないで看取って差し上げることを陰ながら祈ってやす。
今までに何らかの理由で死なないで、やりたいことやり尽くせたあっしはほんとに幸せでやす。
今は余生でやす。
人生前半は、死ぬより辛い人生でやしたが、「いつかはこの地獄から這い上がれる日がやって来る!だから死なないで頑張る!やりたいことをやり終えるまでは死にたくない!」と思って頑張って生きてきやした。
特にここ5年くらいは天国のような人生を生きることができやした。
ここまで生きて来られてほんとに良かった、、、
by ぼんぼちぼちぼち (2020-04-26 11:50)
自然界では死は、自然。サイクルの一部
人間も自然の一部である以上、死は特別ではないと思いますね。
特別視はしないです。私は。
by yosuke-o (2020-04-26 14:33)
私は子供のころから、死への恐怖心が割と強かったように思います。
今も、いつどうなるかわからない、という思いはどこかにあります。
だから家族が出かけるときは、笑顔で送り出すようにしているんですよね。
怒った顔が最期になったら嫌ですものね。
by リンさん (2020-04-26 14:53)
自分で何か新しく始めるにも、「あと何年くらいしか残されていないから……」と、残りの人生を計算する年齢です。
by せつこ (2020-04-26 15:19)
身近に死がない人は、「明日死ぬかも」なんて、
思わないのでしょうね。
わたしくらいの年代は、みな身近な者の死を経験しているので
来年の、来月の、いや明日の死だってあり得る、と思うのです。
by わたし (2020-04-26 15:50)
たぶん自分は平均寿命まで生きるだろうと思っていましたが
70歳になって残りの人生は最短あと10年かもしれないと
思うと、両手の指で数えれるくらいしか残りがないのです。
69歳と70歳では違いが大きく感じています(*^-^)
これは他の死因を考えない場合の話ですけど
この先、何があるかわからないですね~
by プー太の父 (2020-04-26 15:58)
コロナ一寸先は闇ですね~
by kazu-kun2626 (2020-04-26 19:19)
実は,blogを始めようと思ったきっかけは死にかけた事だったりする。
子供の頃にみて貰った偉い占い師の先生曰く,自分の運勢は人生3回分が圧縮されたようなもので,平凡からは程遠いから諦めろと。
人から見たら波乱万丈らしいけど,当の本人はそれが普通だから。
慣れって怖いなぁ~と思う事はあるものの,変な感じに達観しつつある。
「人生いつ何が起きるか分からない」
だから悔いのないように・・・って思う人が多いんだろうし,できるだけそうすべきだと思う。
ただ,自分は今生きてる事をボーナスステージ(おまけ)と考えて,ゆる~く生きる事を選んだけどな・・・(*´ω`)
by こじろう (2020-04-26 19:21)
私は”生きているということは死に向かって時が経過している”ことだと思っています。
この考えは結構幼ない頃からありました。
子どもの頃、ネフローゼという病気だったこと。
7歳の時、弟が10ヶ月ほどで亡くなったこと。
9歳の時、母が亡くなったことが関係しているかもしれません。
人は必ず死ぬ。
それは避けられないと思っています。
by 森田惠子 (2020-04-26 19:29)
自分が今日・明日死ぬって事が現実に考えられなくて、
意味もなくダラダラと過ごしています。
で、いざとなって、あーしとけばよかったなと思ってる気がします。
by ぷち (2020-04-26 21:12)
死は何人にも平等に訪れますからね。
コロナ感染がこうも広まってくると
いつ感染してそのまま死んでもおかしくないと
考えるようになりました。
まだ全然終活できていませんけど^^
あまり迷惑をかけずに逝けたらいいなと思います。
by カトリーヌ (2020-04-26 22:26)
私は寝たきりになって、旅やスポーツができなく(見れなく)なってまでは生きたくないですね。
by JUNJUN (2020-04-26 22:55)
生きるってなにか。死ぬってなにか。自分の人生の楽しみがなくなったら生きていても意味がない。でも人は死がこわい。コロナで死ぬのも寿命、胃癌で死ぬのも寿命、交通事故で死ぬのも寿命。死の恐怖から逃れるための方策。それは今を懸命に生きる、楽しむことしかないように思えます。あなた、私のやりたいことを今、一生懸命に楽しむことだと思います。
by リス太郎 (2020-04-27 00:30)
明日はどうなるかわかりませんが、とにかく今のところは
父よりも1日でもいいので遅くなって欲しいです。
by kuwachan (2020-04-27 01:15)
みなさん
そう、仰るとおり、死は全ての生物にとって自然のサイクルなんでやすよね。
人間だって無論 例外ではないんでやすよね。
だから、自分が死ぬ時は、やりたいことをやり尽くして後悔のない人生でありたいでやすね。
やはりご自身が病気だったり身近なかたが亡くなられていたりすると、子供の頃から死ということを現実として捉えて生きるようになりやすね。
ぷちさんは、そういう自覚なしに生きておられるのでやすね。
あっしは人様に説教じみたことを言うのは好きじゃないんでやすが
「あれもこれもやっておけば良かった、、、」と悔し涙に目を腫らしながら死ぬより、「やりたいことやり尽くしたー。充実した人生だったー」って穏やかな顔で死ぬほうが、幸せと、思ってやす。
何かをする時「これが最後かも、、、」すごく解りやす。
あっしが特にそれを感じるのは、この季節、冬物のセーターやカーディガンを洗濯屋さんに出すとき「果たして来年は着られるかな?」と毎年思いやすね。
だから、来年着られなくなっても後悔のないように、特に愛の深い服は何度も何度も着てやす。
家族を送り出すとき、これが最後になるかもしれないから笑顔で、、、
そのお考えもよく解りやす。
いつだったか、ラジオを聴いていたら、「いつものように普通に子供を送り出して、いってらっしゃい!いってきます!を言い合ったら、子供が交通事故死して、それが最期の言葉になってしまいました、、、」というリスナー投稿の悲しい葉書きが読まれたのも記憶に強いでやす。
この人よりは自分は先に逝くわけにはゆかない、そう思われているかたも少なからずおられやすね。
運悪く先に逝ってしまう運命でないことを祈ってやす。
これができなくなってまでは生きていたくはない、、、人それぞれありやすよね。なるほど、旅やスポーツ、そういうかたもけっこうおられるように思いやす。
今生きてることがボーナス、それも解りやすね〜
あっしも、5年くらい前からボーナス期間に入ったかな。
だから、いつ逝ってもいい。
あ、ただ、二ヶ月前に買ってまだ一度も着て街を歩いてないワンピースは着てからじゃないと死にたくないないぞ。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-04-27 12:17)
ずっと変わらないね。
眠ってるみたい・・っていう状態で
この世とサヨナラしたいなぁ・・・最後は☆・:*
自分でも死んでるのわかってない感じで。(笑)
by yuppie (2020-04-28 23:15)
yuppieさん
そうでやすね。それが一番幸せな最期だよなあと、あっしも思いやすね。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-04-29 11:08)
コロナが去ったら「コロナで死ぬという可能性」が無くなるだけである。
本当にそうですよね。メメントモリですね。去年父を見送ってから、折に触れてずっと父を思い出しています。
by プリスキラ (2020-04-30 09:42)
昨年に父が亡くなってから、私と死の距離がぐっと近くなった
ような感覚があります。防護壁が失われたみたいな感じです。
自分が苦しんで死ぬのは絶対に嫌ですが、周りの人達が死んで
たった1人残されるのは、もっと嫌な気持ちです。
若い頃には、死について、あまり考えなかったけれど ...
by sasanono (2020-05-01 11:11)
プリスキラさん
sasanonoさん
お二人とも偶然に、昨年お父様を亡くされておられるのでやすね。
そうでやすね、とても身近な人の死を目の当たりにすると、
それがいつ自分にやってきても不思議ではない、という現実感を受け入れざるを得ない心持ちになりやすね。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-05-01 13:00)
私も子供の頃からずっと、自分はいつまで生きているのか、
30代、40代、50代...想像もつきませんでした。
生きていたとしても想像することも怖かったし考えられなかった。
でも今はその年齢を超えてこうして生きています。
この世に生まれてしまったことを悲観していた思春期。
なんとか大人になって今に至ります。
ブログでみなそれぞれに背負うものがあり、がんばって生きている姿に励まされます。
私はいつ自分が死んでも悔いがないよう...ただそれだけを胸に秘めていますが
実際はなかなかうまくいかないことばかりですね(笑)^^;
by めりー (2020-05-05 01:04)
めりーさん
みなさんのブログを読ませていただいていると、みんなそれぞれに背負うものがあって、表現や吐露することで生きる活力にしているんだなあと感じやすね。
ブログやってない人からは「お金にならないブログなんて何でやってるの?大変なだけでしょう?」というようなことをよく言われやすが、
あっしも他のブロガーのみなさんも、やらずにはおれないものがあるからなんでやすよね。
そうして、死ぬときは「あー、やりたいこと全部やり尽くした。もう何も悔いはない」って思いたいものでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-05-05 12:34)