国分寺にあったレストラン喫茶「アースホール」 [喫茶店・レストラン・カフェ]
私が二十七才の時、母親は突然の病で死に、その後何ヶ月かの間、私は仕事らしい仕事もせずに ただぶらぶらと遊んでいた。
毎日 何をしていたかというと、その時住んでいた東京郊外の国立の家から歩いてゆける 隣街の立川や府中や国分寺の喫茶店に くつろぎに行っていたのである。
中でも殊に 私の内に印象深い店が、国分寺にあった「アースホール」である。
アースホールは、住所は国分寺市ではあったが最寄り駅は国立駅で、国立駅北口を出て少し北上し 続いて北東へのだらだら坂をのぼる途中に、まるで アメリカの片田舎のレストハウスのような、木造りだったかコンクリートだったかはもはや記憶におぼろだが、とにかく白いニ階建ての建物だった。
景気が良かった時代だったからか、大抵の店が「いらっしゃいませ」すら言わずに こちらが世間話のひとつも振ろうものなら あからさまに嫌ぁな顔をしてそっぽを向く店員が殆どだった中、アースホールのマスターは大変礼儀正しく 丁寧な接客をしてくださった。 四十代半ばと思われる 長髪に髭でぼうぼうに顔を囲った 二重まぶたの豊かな黒々とした瞳のマスターだった。
私はランチタイム遅くに行くことが多く、しばしばマスターと二人きりになった。
マスターは、最初の何度目かは さしさわりのないありていな話しをしてきたが、ある時、「僕は以前ヒッピーだったんです。それでインドに住んでいたんです」と仰った。
そして、「貴女はお仕事は何をなさっている方なのですか?」真っ直ぐに私に向いた。
「少し前まで画家をやっていましたが、今は何もやってません」と答えると、マスターは目を輝かせ、「そうでしたか!表現者でいらしたのですね!! 実は僕はインドから帰ってしばらくの間、音楽活動をしていたんです」
店の奥からシングルレコードを一枚取り出し、見せてくださった。
ジャケットには、マスターの顔のアップが、夕暮れのような色合いで写され、豊かな黒い瞳がこちらを見つめていた。
そのダイヤローグをきっかけに、マスターは真摯な態度で「表現者同志で語り合いましょう!」と、以降、店を訪れる度に、このテーマについてはどう解釈するか 等、話題を提供し、マスターは音楽の観点から、私は美術のそれから、理論的にかつ穏やかに論じ合った。 非常に実のある有意義な時間だった。
又 いつかのある日ーーー
ランチメニューが完売したのか、マスターがまかないを二人分作ってくださり、食べさせていただいたこともあった。
カシミール地方のカレーをマスター流にアレンジした というカレーだった。
噛む度にスパイスが弾け心地よく、プレーンヨーグルトが乗っているのも面白いな と思った。
それ以前の時代は日本でカレーというと、イギリス経由で入って来た洋食としてのカレーか、蕎麦屋か食堂のカレーか、家庭のカレーか、インド人が経営している本場モノのインドカレーかのいずれしか無かったが、日本人が直接インドに行き 日本人の舌に合う様にアレンジしたカレーというのは、この時代には、元ヒッピーが所々で営っていた喫茶店やカレー屋だけだったと 私は記憶している。
加えてこれは私の分析であるが、現在そこここのカフェで「ウチのオリジナルカレーです!」と推されているカレーの源流というのは、このアースホールのまかないカレーに代表される様な、元ヒッピーの作るカレーであったと 結論づけずにはおれない。
何ヶ月か後ーーー
私は国立のカクテルラウンジでアルバイトを始め 起きる時間が夕方になったので、アースホールから足が遠のいてしまった。
時は経ち、三十八才になった時ーーー
私は国立の街を離れることになった。
引っ越しの前、三、四ヶ月は再び何もしないでぶらぶらしている期間が出来たので、懐かしさと期待と諦めとを軽く握った拳に込め 国立駅北口・北東へのだらだら坂をのぼったが、あの白い建物は、跡形もなく無くなっていた。
おはようございます^^
何やら映画でも見ているような・・・そこはかとなく「しんみり」した気分になります。
by mimimomo (2019-12-09 06:24)
表現者とは随分お洒落な言い方ですね。
白い木の壁、白い風景、ぼんぼちぼちぼち様の
セピアな思い出なんですね。
by ヤマカゼ (2019-12-09 06:29)
以前は特徴のある喫茶店がそこここにありましたよね。
アースホールもそういうお店の一つだったのかな。ぼんぼちぼちぼちさんにとって、とても大切な思い出のお店なんですね。
今頃、どうされているのかな?
by moz (2019-12-09 06:42)
とても素敵な出会いだったんですねぇ^^
そういう個性ある店がなくなるのは
寂しくて残念です(*_*)
by ニッキー (2019-12-09 07:12)
なんともステキなお話ですね ^^
そのマスターの風貌を記事中の材料で判断すると、ボクに歌の楽しさ、素晴らしさ、そして発声の基礎を教えてくださった先生に似ているように感じてしまいます。
だからなのか、読んででとても懐かしくも思いました(^^)
by なかちゃん (2019-12-09 08:20)
素敵なお話ですね
跡形も無くなってしまったのは 残念ですね
また インドに行ったのかな―――???
by もーもー (2019-12-09 08:21)
昨日、谷保の旧車祭を見た後に国立駅に行きました。
国立駅前に旧駅舎が復元されもう直ぐ完成するみたいです。
そして西友で買い物をしてバスで帰りました(゚□゚)
by 英ちゃん (2019-12-09 08:24)
肉眼では見えなくなった形が、廃れることなく思い出として残る。
それらが日々の生活に潤いを与えてくれます。
by 風太郎 (2019-12-09 08:54)
本当に映画のような世界に感じました!
by こはく (2019-12-09 09:23)
何だか物語の中みたいな感じですね
もういけない場所、少し物寂しくて、その後の行方が分からないのも
何だかノスタルジックでございますね
子どもの頃通っていたお店が今はもうないとか最近は
多くなりました
by りみこ (2019-12-09 09:31)
一気に引き込まれて読みました。
by きよたん (2019-12-09 09:37)
こんにちは!
いい思い出と素敵なお店だったんですね・・
今日の文章、何か違うなあと読み返して気づきました。
”で、やす。”の表現がないです("^ω^)・・・
by Take-Zee (2019-12-09 10:21)
人生の中には時々こういったイイ話が転がっているものですね。訳もなくジンと来ました。
by 扶侶夢 (2019-12-09 11:00)
カレー論、おもしろいですね。「アースホール」にまかないのカレーを食べに行きたくなりました。
表現者。人はみな表現者でしょう。ただ、それを意識するかしないかの違い。私は表現者でありたい。演芸も表現だと思います。芸術は爆発。職業は人間(表現者)。べらぼうなものをつくってやる。
by リス太郎 (2019-12-09 11:01)
国立の北口側に住んでいた者として大変興味深く読ませて頂きました。こんな面白そうなお店があったんですね〜おそらくその頃はもう結婚していなかったと思いますが・・・まかないのカレー、頂いてみたいですね♪ぼんぼちさんとマスターの表現者同士の論じ合う姿も見てみたかったです!!
by エンジェル (2019-12-09 11:38)
いい思い出ですね
最近では個人経営の喫茶店は本当に少なくなってしまいましたね
僕の住んでる街も、あるのはコメダくらいです(笑)
by ken_jp (2019-12-09 11:46)
表現者、いい言葉です。
表現…出来ているかなぁ。
by よしころん (2019-12-09 12:26)
こんにちは。
良い思い出・良い出会いと感じます。
アウトローな小生も似たマスター・オーナーに出会った事あります。
再会はなかったみたいですが・・・
素晴らしい出会いで生き方に影響をあたえたと思います!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2019-12-09 12:46)
何かしら心通う 人, 風景, が姿を消すと
そこはかとない喪失感のようなものがありますね。
もう思い出の中だけでしか会うことのない 人, 風景に
心揺さぶられて散歩道 ...
今も、これから出会うものも、いつか、また思い出に?
by sasanono (2019-12-09 14:35)
店が消えた顛末はいかに。
マスターはいずこに。
消滅する前に、おそらくは、ぼんぼちさんに
お会いしてお別れを言いたかったに違いなく。
まさに、風と共に去りぬ。
by とし@黒猫 (2019-12-09 16:15)
時が経つと贔屓にしていたお店が無くなっていてさみしい思いをすることがありますね。学生の頃、うろついていた商店街は今やシャッター通りです。
by 這い上がるママ (2019-12-09 16:50)
もう一度話をしたかったですね。
by KINYAN (2019-12-09 17:39)
こんばんは。とても素敵な出会いでしたね。マスターからすれば
やっと話の合う人に出会えたと思われたと思います。
急に来なくなくなってしまったぼんぼちさんの事を心配されたのではないでしょうか?誰しもこういう出会いがいくつもあってみんな
それぞれの人生を歩んでいくのでしょうね。
by kick_drive (2019-12-09 19:25)
人の出会いと別れは不思議なものですね。
ぼんぼちぼちぼちさんもマスターも直接存じ上げているわけではないのに、不思議な既視感をもって読ませていただきました。
どこかで、今もカレーを作っていらっしゃるような気がしてなりません^^
by ゆきち (2019-12-09 20:31)
拙ブログへの訪問ありかとうございます。
喫茶店や食堂、レストランなどは私がよく利用するようになると潰れるという「伝説」があります。恵比寿の事務所周辺の喫茶店2店、食堂3軒が私のせいで?潰れました。
by アニマルボイス (2019-12-09 20:46)
そうでしたか
興味深い話でした。
残念でしたね。
by 八犬伝 (2019-12-09 21:01)
ぼんぼちさんのコメントに釣られて銀河鉄道バスに乗ろうと思ったら、本数少ないんですね!発車後5分で国立駅・・・結局まるまる歩いて谷保天満宮まで歩いちゃった。でも紅葉とか、暖かかったので運動で楽しめました。
by caterham_7 (2019-12-09 21:04)
何かジーンときちゃいました。
出会いと別れっていつどこで何があるかわかりませんね。
by ぷち (2019-12-09 21:08)
大切な思い出boxにしまっておきましょう。
by ヤッペママ (2019-12-09 21:09)
無くなっやったの。。。
寂しいですね。(T∞T)
また、どこかで。会えるといいですね。
by ちょろっとぶぅ (2019-12-09 21:22)
お店がなくなっていたのは残念ですが、とってもステキな
お話ですね☆ まかないのカレーも美味しかったのでしょうね(^^)
by s_29 (2019-12-09 21:48)
こんばんは。
いい出会いがあったんですね。今のスパイシーカレーの源流が、このお店のマスターのような方々がつくられたものだったのに、ちがいありませんね。
ぼんぼちぼちぼちさんは、自分の考えや感じ方をしっかりとお持ちですから、マスターもお話しできるのを楽しみにしておられたと思います。お店がなくなったのは、残念ですね。
by coco030705 (2019-12-09 22:02)
学生の頃、毎日のように行っていた、原宿・竹下通りの喫茶店「N」。
30年後、偶々歩いていて見つけた時には驚きました。
竹下通りはあんなに変わったと言うのに‼!
by hana2019 (2019-12-09 22:40)
思い出のレストランがなくなったのは、ショックだったでしょうね。
by テリー (2019-12-09 22:48)
行きつけのお店って憧れます。
一時期通ったお店が有るのですが、最近足が遠のいてました。久しぶりに行ってみようかな
by mau (2019-12-09 23:23)
国立の北口側はほとんど行ったことないです。
いつまでもあると思っているものがなくなる、それに気づくのは年を取ってからかもしれません。
by ChatBleu (2019-12-09 23:30)
短編小説のようなお話ですね。
最後に店がなくなっていたのが残念です。
チェーン店にはない、個人経営のお店のよさがこれからも残っていって
ほしいです。
by starwars2015 (2019-12-09 23:38)
この辺りはあまり行かない場所なので
お店の存在を全く知りませんでした。
まだ営業していたら行ってみたかった~!
しかし元ヒッピーの方らしくお店の名前も
ちょっと振り切っちゃってますね~(;^ω^)
しかしこのセンスがあの時代だからこその精神を
感じます、国分寺はまだ元それらしき人が経営する
お店がまだ残ってますよね、ラビさんのカレー屋とか。
他にも無農薬食堂みたいのとかもありお店のドアには
反体制的なスローガンのシールがこっそり貼られていたり
そのなものを見つけるのも面白いですね。
私も国分寺に昔あったお店で消えてしまったのが
悔やまれる場所がいくつかあります。
国分寺駅北口再開発で純喫茶アミーが消えたのは悲しかった!
大箱のクラシックが流れる名曲喫茶でレトロなあの空間は
お気に入りでした。ジャズ喫茶のすもーきーも通いました。
ピアノの生演奏のあるレストランもあったなあ・・・
今より昔の方が贅沢な空間のお店が身近に多くありました。
by ゆるキャラ (2019-12-10 00:22)
ぼんぼちぼちぼち様の文章に引込まれました。
束の間の出会いであっても、通じるものがある人と
交わした会話は忘れないし、思い出すたび心が温か
くなりますね。そのマスターも、あの子はどうして
るかな?と思われているのではないでしょうか。
このブログを見て連絡下さったらいいのになあ。。
by うりくま (2019-12-10 01:01)
カシミール地方のカレーをアレンジしたカレー、かなり辛いのかな
プレーンヨーグルトが必須な程に
お店が無くなってしまったのは残念でしたね
マスターは旅に出たのかなぁ==)
by さる1号 (2019-12-10 06:17)
ぼんぼちぼちぼちさんは、いろんな思い出をお持ちですね♪
思い出のお店も多いですね。
それだけ感性が豊かなんだと思いますね。
落ち着く喫茶店、昔は何軒かありましたけども・・
個性的なマスターも段々いなくなってきているのかなぁ?
それともまだまだ、どこかに行くといるのかなぁ?
by Rchoose19 (2019-12-10 07:45)
みなさん
今回の記事、個人的な思ひ出の一人語りにも関わらず さっそくたくさんのコメントありがとうございやす・ぺこりっ
そうでやすね、あのマスター、今はどうしておられるのかなあと思いやすね。
ちょうど30年前の話しでやすから、マスターは70代半ば、、、どこかの街でお元気でいてくださったらそれだけで嬉しいでやす。
表現者 という言われ方には、あっしは抵抗ないでやすね、昔も今も。
金を稼ぐために描きたくないものを描いていたにしろ、それは表現形態の一つだったから。
そう、演芸も表現の一つでやすよね。表現には、様々なジャンルがありやすが、テーマの打ち出し方や緩急の付け方、観せ所聴かせ所をどう観客に印象づけるかのテクニックなど、共通している部分は多いでやすね。
芸術家、と呼ばれてしまうと「いえいえ、そんなたいそうな者じゃございません」と後退りしてしまいやすが。
昔は個人経営の喫茶店レストランがあちこちにあって、馴染みになって世間話をする というのが街の文化のひとつにありやしたね。
今はそういう店が極端に減ってしまって、人と人の関わりがますます薄い時代になってしまいやしたね。
あの時代でも、あっしに笑顔で対等の姿勢で世間話をしてくださったのは、国立の邪宗門とここアースホールだけでやしたね。
マスター流にアレンジしたカシミール地方のカレー、しっかり辛かった記憶がありやす。
あっしは辛い物好きなので、感激的な辛さでやした。
中山ラビさん経営の国分寺のほんやら洞も、ヒッピー源流のカレーでやすね。
インド帰りのヒッピーにラビさんが作り方を教わったそうでやす。
ほんやら洞は、今も遺るヒッピーの集まっていた貴重な店でやすね。
当時は、ヒッピーの中でも部族と名乗る一群のコミュニケーションの場だったようでやす。
純喫茶アミー、あっしも大大大のお気に入りの店でやしたよ。
店内の張り紙で閉店の旨を知った時は、あまりのショックにめまいがしやした。
今は大観光地になってしまった原宿で、昔行っていた喫茶店がまだあったなんて、奇跡のようでやすね。
そういう嬉しいこともある中、思い出ばかりが増えていく、、、のが寂しいけれど現実でやすね。
by ぼんぼちぼちぼち (2019-12-10 10:51)
そのマスター、貴女に別れも告げないでお店をたたまれた、よほどの事情がお有りになったのでしょう。あちらもきっと、貴女との出会い、会話を今でも忘れないでいらっしゃるとおもいますよ。
なぜか、淋しい話なのに温かみを感じました。アリガトウ!
by okko (2019-12-10 14:47)
人の出会い・・マスターとの話に花が咲きましたね。
by 旅爺さん (2019-12-10 17:29)
素敵な出会いのお店だったんですね。
久しぶりの訪れで、お店が無いと心に隙間が出来たような感覚に陥ります。
でも、いい思い出として残りますね。
by 横 濱男 (2019-12-10 18:38)
先日は思いがけず有意義な時間をありがとうございました。
ところで、国分寺の喫茶店、なくなって残念ですね。
古い喫茶店で突然思い出したのですが、新宿南口を出でまっすぐ50mくらいの右手に「青蛾」という喫茶店があったのをご存知でしょうか。取り残された古民家をそのまま喫茶店にしたもので、裸電球に白い硝子の傘。胸を突きそうな梯子を昇るとしみのついた障子戸で囲まれた部屋があり、コーヒーは雰囲気のせいもあっておいしかったものでした。
by sig (2019-12-10 18:52)
「表現者」いい響きですね。
by たいちさん (2019-12-10 19:02)
カレーの味とともに思い出されるのかな。
私ならきっと。
by koto (2019-12-10 19:10)
高校の頃に入り浸っていた喫茶店(夜はスナック)の
ママに気に入られて、中学生の娘の家庭教師を頼まれました。
無事に志望高校に合格し、東京の大学に進学したけど、
あの娘は幸せに暮らしているかなぁ。
by johncomeback (2019-12-10 19:58)
ぼんぼちぼちぼち様
こんばんは
喫茶店は、ぼんぼちぼちぼちさんのようにあまり入りませんが、時々、一人のひと時を楽しむときもあります。(^-^)
いつでも会える、いつもあると思っていて、突然存在がなくなってしまって落ち込むことがあります。なぜ、もっと大事にしなかったかと悔やみました。
by hirometai (2019-12-10 21:11)
映画を見ているような気持になりました。
by JUNKO (2019-12-10 21:48)
いい時間を過ごしたお店だったのですね。^^
お店がなくなっていたのは寂しかったでしょうね。
by rappi (2019-12-10 22:24)
そうでしたか・・。
何とも言えない気持ちになりました。
めぐりあわせというものは本当に不思議で
でも運命ってことかもしれません。
素敵な時間を過ごされたのですね。
by erena (2019-12-10 22:27)
時の流れは無常なのか はたまた優しい風なのか。。。
人とのご縁とはとても不思議なものだと感じることが
多々あります。一期一会である方もたくさんいますが
嬉しいこと嫌なこといろんな場面で数えきれないくらい出会いは
今の年になって やはり運命というものがあるんじゃないかと
思うのです。今もどこかでお元気でいらっしゃるといいですね。
どんな音楽だったのだろう?自費制作だったのかな。^^♪~
by ゆうのすけ (2019-12-11 03:23)
ある日見慣れた街並みから突然建物が無くなると
どんな建物か思い出せないことが度々あります
もしかすると最初から何も無かったのかも知れない
by kenji-s (2019-12-11 07:23)
まるで映画のようなすてきなおはなしでした。
わたしも、ちょっと似たストーリーがあるのですが、そこで深入りしすぎてお店でバイトするようになり、、素敵だったマスターのいろんな面をみてしまいがっかりしました。
ここちよい思い出のままなのが逆によかったのかもしれませんよ。
by わたし (2019-12-11 08:23)
みなさん
映画を観ているよう、と感じていただけてとても光栄でやす・ぺこりっ
あっし自身、頭の中の倉庫にしまっておいた映像を 頭の中の映写機で再生するような気持ちで書きやした。
国立に住んでいた頃は、頑張って早起きすればいつでも行ける!っていうつもりもあり、マスターにカクテルラウンジでバイトを始めることなど何も言わずにいて、結局 以降一度も訪れることはありやせんでやした。
マスターのほうも、あっしのこと、懐かしく憶えていてくださっていたら、それだけでも嬉しいなあと思いやす。
何かの表現活動をしている(していた)人間って、同じ匂いを嗅ぎ取るというか、なんか自分と同類だな、って直感するんでやすよね。
それで、あっしにお声をかけてくださったのかも知れやせん。
マスターのレコード、自費だったかメジャーデビューだったか知る由もないのでやすが、元ヒッピーのかたでやしたから、歌詞の内容はきっと、反体制か世界平和がテーマだったのではないかとお察ししやす。
仰るとおり、人とのご縁というか運命というか、そういうのありやすね。
大切にしたいと思ってやす。
若かった頃は、全然実感なかったことでやすが、この年になってみると、つくづく感じやす。
sigさん 先日は思いもかけずにお逢いできて嬉しかったでやす。
会場でバナナのお話しが出来たことも楽しかったでやす。
そうそう、青蛾 有名店でやしたよね。
あっしは中高時代、家庭教師が来る日以外は毎日喫茶店に行っていて、新宿も学校から近かったので、あの付近の喫茶店は全部制覇してやした。
で、当時は喫茶店の数も多かったし 民芸喫茶ブームでもあったので、絶対何度も入っていた筈なんでやすが、どこがどういう店名の店だか意識しなかったので、ああ、きっとあそこの空間だったんだろうなあ、、、って記憶でやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2019-12-11 12:58)
なじみのお店がなくなってしまうのは切ないですね。オーナーもボンボチさんの顔が見られなくなってお寂しかったかもしれません。
by サンダーソニア (2019-12-11 13:41)
いいお店だったのですね。
カウンター越しに話すマスターとぼんぼちさんが浮かんできます。
閉店してしまったのは本当に残念ですね。
by リンさん (2019-12-11 16:56)
学生時代に仲間で良く行く喫茶店が何件かありましたが、店の人は余り覚えていません。
良い出会いがあったのですね。
by ヨッシーパパ (2019-12-11 19:08)
私のヒッピー像は若かりし頃の鈴木ヒロミツさん。ドラマ内での元ヒッピー役?が今でも私のスタンダードになっています。ヒッピーて何?って聞かれてもうまく答えられないけど私の頭の中には彼の姿が・・・
聞き上手なマスターやバーテンさんが少なくなって接客のプロというのは絶滅危惧種の仲間入りです。
by 青い森のヨッチン (2019-12-11 20:58)
みなさん
仰るとおり、お店なくなってしまってほんとうに残念でやす。
当時は他にランチを食べに来るお客さんは、学生さんから社会人まで男性客が多かったように思いやす。
今は、チェーン店の牛丼屋などでお昼を済ませているのでやしょうね。
時代の流れでやしょうね。個人経営のいい喫茶店レストランがどんどんなくなっていってやす。
よく行っていた店がなくなる度に悲しい気持ちになりやしたが、ここアースホールと国立の邪宗門という喫茶店は、個人的にあれこれマスターとお話しした唯ニのお店なので、悲しさも大きかったでやす。
鈴木ヒロミツさん、元ヒッピー役をやられていたのでやすね。
あっしなりの解釈でやすが、ヒッピーとフーテンとヒッピー風の人の違いはーーー
ヒッピーというのは、反体制や自然回帰などの強い思想を持ち、長髪にベルボトム、サイケデリックなTシャツなどを来て、独自のコミューンを作っていた人達で
フーテンは、ヒッピー風の格好をしてはいるけれど、思想も持たず、仕事も何もしないで新宿あたりでたむろをしていた人達で
ヒッピー風の人というのは、風貌はヒッピーファッションだけれど、思想は持たずに 学生だったり何かしら仕事をしている人
だと認識してやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2019-12-12 11:25)
西荻窪、南口、吉祥寺方面の踏切を渡ったところにあった
ログハウス風の喫茶店をちょっと思い出しました。
今は跡形もなくマンションになっていました。
by そらへい (2019-12-13 21:19)
そらへいさん
いいでやすなあ、ロッジ風の喫茶店。
今在ったら、ぼんぼち常連になってること必至でやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2019-12-14 12:08)
国立にも縁があったんですね!
今年の谷保天満宮旧車祭も盛況でした。やっぱり国産古いのは減りスーパーカーシフトしていました。先日「名探偵ピカチュウ」のブルーレイを買い、結構真面目に作った映画でした。ピカチュウが落ち込むは、涙するは、死にかけるは、波乱万丈で面白かったです。
by caterham_7 (2019-12-15 21:40)
catercham_7さん
旧車祭、今年も盛況で何よりでやす。
そうでやすか、年々スーパーカーが増えているのでやすか。
国立には、小3から38才まで住んでやした。
でも自分の意思で住み始めた街ではなかったので、国立を出られる状況になった時は、何の未練もなく清々した気持ちで引っ越しやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2019-12-16 11:40)