大量購入・大量廃棄---私の母親の美徳 [毒母]

以前、「冷たい廊下---母親に虐待され続けた子供時代」という記事で、母親は何故 私を虐待していたかを綴りましたが、今日は私との関係ではなく 母親自身は物質に対してどういう価値観を持っていたか について記したいと思います。

母親は、私が物心ついた頃から毎日毎日、「貧乏人だと思われたら恥ずかしい」「田舎モンだと思われたらみっともない」と、般若のような目をして口の端をピクピクとけいれんさせながらモノローグしていました。
そして、自身が信じてやまない そう思われないがための言動に、日々盲進するのでした。

美徳2.jpg週に三日はデパートに出掛け、その度に、試着もせずに履き試しもせずに もとよりよく見もせずに服や靴を幾つも買い、結果、気にいらなかったりサイズが合わないものが部屋に溢れかえり、何週間かに一度 どさりと捨て をくり返していました。
母親言うところ、商品をよく見たり試したりしてから買うのは貧乏人のとるみっともない行動で、新品をたくさん捨てるのは 金持ちの立派な行い とのことでした。

料理を作る主婦は貧乏人の主婦だと嘲笑し、食事はほとんど外食あるいはテイクアウトあるいはてんやものでした。
それらの手段での食事の内容にも執着があり、外食ならイタリアン ステーキなどの西洋料理。 
和食は、どれほど高級な寿司屋や割烹でも 田舎者の行く恥ずかしい所 ということでした。
ホテルの中華のコースはしばしば利用していましたが、いつも野菜料理はすべて肉料理に変更し、父母弟私の四人で食べるのに、追加で 大きな鯉を丸丸一匹揚げた甘酢あんかけなどを別注文し、毎度 お腹がいっぱいで一箸もつけられなく、「食べきれないから捨ててちょうだい!」と ふんぞり返って得意満面に言い放っていました。
ホール係が「えっ?!そんな・・・・」という表情をすると、「どうだい! あまりにウチが金持ちなんで驚いてるよ」と ますます以って鼻高々なのでした。

テイクアウトでは、マクドナルドとケンタッキーが大のお気に入りでした。
母親の辞書には「ジャンク」という語はなかったようで、それらはアメリカ発祥の 東京人の豊かな肉料理と映っていたようです。
てんやものでは、メニューの中から一番高いものを家族人数分プラス天ぷら。
天ぷらに付いてくる天つゆは、「田舎モンの味だ! そんなもんまずーーーい!!」と捨てさせられ、代わりに ハイカラな調味料だという塩コショウを作らされました。

美徳.jpg生活をしていると どうしても家で作って食べなければならない事情も出てくるわけで、そういう時のために 週に一度は紀ノ国屋に買い物に出向き、ステーキやパンやケーキを求めていました。
そこでも 少しだけ買うのは貧乏人だと思われてみっともない と、カートに山盛り二台分放り入れ、レジで、店員や周囲の客が驚くのを、「ふふん! ウチほどの金持ちはいないんだよ!」と満悦していました。
求めた食材は、みるみる消費期限が来て ほとんど捨ててしまっていましたが、ゴミ袋に投げ入れる時の母親は、それはもぅ嬉しくてたまらない!といった勝ち誇った面持ちでした。

母親は、昭和九年生まれで、群馬は赤城山の中腹の寒村の 大工の家に生まれたそうです。
子供の頃はいつも飢えていて、近隣の畑のものを盗んで空腹をしのいでいたそうです。
大人になり、前橋や高崎や そして東京に出てきたら「田舎モン」「田舎モン」と馬鹿にされたそうです。
それらの体験が母親の物質的価値観を形成したことは、火を見るより明らかです。

しかし----
理由はどうあれ、私はそんな母親を見ていて 身内でいるのが非常に恥ずかしかった。
「もったいないよ」などと意見しようものなら また記憶を失うほど殴られる理由づけを自ら作ってしまうこととなるので 口が裂けても言いませんでしたが。
私はそういった面でも 母親を反面教師として大きくなりました。
母親は五十二歳の時 突然の病で亡くなりましたが、最期まで自分の物質的価値観が 極端でへんてこで歪んだ間違ったもので 世間の人達からどう思われる言動であるか つゆ気付かなかったようです。
本人は、気付かなくて幸せだったでしょう。

美徳3.jpg


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よーちゃん

うーむ。。。壮絶な話ですね。。。
by よーちゃん (2016-05-13 08:59) 

もーもー

貧乏・田舎者・・・誰も、そう思われたくなく
見栄をついつい張ってしまいますけど・・・・
ぼんぼちぼちぼちさん、苦労されたんですね・・・・
 心に大きな傷を負ってしまわれて・・・
思い出すだけで  大変でしょうが、こうして
語ることにより  少しでも 心が軽くなると良いです
  人間 欲の塊   それを上手くコントロールして
生きていきたいですね
by もーもー (2016-05-13 09:10) 

ともち

お母様の行動に対して、旦那様(つまりはお父様)は、何も仰らなかったのですか?
by ともち (2016-05-13 12:08) 

青山実花

ぼんぼちさんのお母様のお話は、
直接、そしてネットを介して、
伺ってはおりましたが、
これもまた壮絶なお話ですね。
人様の価値観に文句をつける事はできませんが、
とにかく勿体なくて勿体なくて、
身悶えしそうになります。
またお会いして色々お話したいですね。
by 青山実花 (2016-05-13 12:31) 

barbermama

先に「冷たい廊下」の元となる記事を読み
次にこの記事を読んで涙が滲みました。
同じように貧乏な家に生まれ育っても、どうして人は
違う人種に分かれてしまうのか。
ウチの場合は父が蒸発して以来とても貧乏でしたが
私は反抗期の時一度だけ頬をひっぱたかれただけです。
母親を反面教師として立派な人間に育ったぼんぼちさん、
ステキな写真と文章で楽しませて下さいませ。

by barbermama (2016-05-13 13:08) 

柴犬

エゴイズムとバニティに満ち溢れた自分がいます...
by 柴犬 (2016-05-13 13:13) 

Take-Zee

こんにちは!
う~ん・・と考えながら読み返しをしました。
そして、また考えています。

by Take-Zee (2016-05-13 13:57) 

侘び助

生れて少しの間裕福な一時が有ったようですが
物心つくころ、父と死別・・・その後貧乏街道まっしぐら~~
学校の集金も遠慮して母に言えなかった・・・
結婚しても・・・貧乏暮らし~~ 一生このままと思いやしたが
一人になってようやく貧と別れられて・・・それなりの暮しになりやした~
by 侘び助 (2016-05-13 14:11) 

ワンモア

「冷たい廊下」の記事を読ませていただいてブログのタイトルの意味が分かりました。と同時に背負っている重みを感じます。
反面教師と呼ぶにはあまりに壮絶なので、相応しい言葉が出てこないのですが、読んでいても負の連鎖を感じないぼんぼちさんは、器があって、受けてきた負のエネルギーを上手く昇華されているように思います。これからもウエットに富んだセンスある文章で楽しませてください^^
by ワンモア (2016-05-13 16:35) 

sig

子育てには、自分が不幸だったから子供たちにはその思いをさせたくないという教育と、反対に子供にあえて苦労を味わせることで社会の矛盾などを理解させようという教育があると思います。その方向性を間違えるとうまくいかなくなると思いますが、お母様の場合は自分の幸福感が第一のようですね。そのような環境の中でぼんぼちさんがそれを反面教師として受け止めたということは、そう受け止めることにしか活路を見出すことができなかったにしろ、すごいことだと思います。それはまさに常軌を逸する精神修養ではなかったかと思います。
by sig (2016-05-13 16:37) 

yakko

こんにちは。
壮絶な体験をなさいましたね・・・ぼんほちぼちぼちさんはお母様を
反面教師として立派な大人になられました。素晴らしいことです !
by yakko (2016-05-13 16:46) 

kiki

優しい文章が書ける人になって、良かったね。
今のぼんぼちさんは自分で勝ち取った宝物です。

by kiki (2016-05-13 17:13) 

リンさん

驚きました。
飽食の時代などと言いますが、度を越していますね。
ぼんぼちさんは母親を知らずに育ったんですね。
家で料理をするのが貧乏人だなんて、本当にびっくりの価値観です。
by リンさん (2016-05-13 17:55) 

dan

想像を絶する場面の連続で、なかなかすんなりと理解できません。
それを黙って見ていたぼんほちほちさんの気持ちを考えると
悲しい気持ちになってしまいます。
もうひとつショックはお母様が、私より少し年上ながらほぼ同世代
だということ。
倹約が何よりと骨の髄まで教え込まれた年代です。
お父様は大金持ちだったのですね。
もっといろいろぼんぼちさんのこと知りたくなりました。
by dan (2016-05-13 18:00) 

majyo

前の記事も拝見させていただきました。まだ日が浅いので
知らないことは多いのですが
どう思おうと、私は支持します。産んでもらったのだからと言う理由で
親を悪く思ってはいけないなどと決して申しません
似ている場合もありますが、まったく別個性でもあります。
うちの息子も、父親を許していません。
それで良いのだと思います。


by majyo (2016-05-13 18:30) 

hana2016

こんばんは。
リンク先の過去記事を読ませていただき・・・私もブログタイトルの「冷たい廊下」の意味を理解しました。
鬼のような母親と抵抗できない幼い我が子の関係。それを黙認する父親から・・・どうしても下田 治美さんの小説「愛を乞うひと」が思い出されて仕方ありません。
彼女の著作では本当の父親ではない義理の関係ながら、それでも男ってズルイ。
子供は一人ぼっちになっただけでその時の寂しさが、いつまでも後を引くものです。
それなのにずっと長い間、大変な経験をなさっているのですね。

外食にしろ、大量の買い物にしろ、母上の行動の原動力となったのは、なんだったのでしょうね?
孤独がそうさせたのであれば、世の中や周囲への甘えがあったのかしら?
by hana2016 (2016-05-13 21:23) 

きよたん

本当のお金持ちは意外につましいものです。
お母様精神的に貧しかった?きっと病んでいたのでしょう
親が子供に与える影響を考えるとぞっとしますね
ぼんぼちさんが反面教師として親を捉えてしっかりと
そだって良かったです
by きよたん (2016-05-13 21:31) 

昆野誠吾

様々な価値観が存在しますね。
元々もって生まれた性質、子供の頃の経験、
学校教育や友人関係などなど様々な要因で
形成されていくんでしょうけど興味深いです。
しかしご母堂は随分極端だったのですね。
しかも実践できるんだから本当に裕福だった訳で
すごいなぁとも思いました。
なにくそ!って思うことは人間が大きく革新される
契機になること多いですね。

by 昆野誠吾 (2016-05-13 22:14) 

ニッキー

強烈なお母様ですねぇ(@_@;)
色んな経験がお母様の価値観をそうしっちゃったんですねぇ(*_*)
by ニッキー (2016-05-13 22:40) 

みかん

言葉が見つかりません。
壮絶な人生なのですね。。。
by みかん (2016-05-13 23:00) 

sana

す、すごいですね‥
子供の頃は飢えていて、上京してからは田舎者とバカにされ‥
それを毎日ずっと抱えていたのでしょうか。
毎日見返してやっていると満足していたのでしょうか??
‥辛い経験をすれば、どこかに残りはしても‥、大抵はここまで極端な行動しないのでは。
常軌を逸していますね‥
そ、それに~もったいなさ過ぎ。
そんな暴力は犯罪ですよ。
反面教師として成長なさったのは立派です!^^
by sana (2016-05-13 23:10) 

ミケシマ

これは、コンプレックスを「克服」したということでしょうか…
不治の病の為、投薬の副作用による強烈なコンプレックスを持つわたしは
未だに身悶えするほどそのことに苦しんでいます。
お母様はその苦しみから逃れる為にこのような人格になってしまわれたのでしょうか。
ご本人はきっと幸せでしたでしょうが、実害を被っているぼんぼちさんのことを思うと胸が締め付けられます。
by ミケシマ (2016-05-13 23:31) 

藤並 海

お母様は、子供時代から上京間もない頃にかけ
いろいろしんどい思いをされて過ごされたのですね
たくさん物を買って捨ててという生活を
出来るだけの経済力があったお父様もすごいです
お母様自身は満たされない何かを
そうすることで埋めてらしたのですね
by 藤並 海 (2016-05-14 00:34) 

薔薇少女

お母様の全てを否定する事は出来ないと私は思います!
>たくさん物を買って捨ててという生活を
私は安物を沢山買って捨てられない性格なので、
チョッと羨ましい気もします?!

父や父の親戚をいつも軽蔑している母を疎んじておりましたが、
齢を重ねて母の気持ちも解る様になって来ました!
自分は母の様にはならないぞと、『理想の人』と結婚をしたけれど
いつの間にか、自分も形は違うけれど、母の悪い性分を
受け継いでしまって居る事に気が付きました!
by 薔薇少女 (2016-05-14 02:35) 

向日葵

オフ会で初めてお会いした時、その秘密が自然と知れて、
あまりのことにビックリしましたが、
その時以来「不思議な雰囲気を持たれた方だなぁぁ。。」
とずと思って来ました。

お付き合いはもうかなりになりますが、
和やかなオフ会でのぼんぼちさんお振る舞いなどから
ぼんぼちさんの深いところまで思いが及ばず、
「冷たい廊下」
のタイトルの意味も、今更に知って、驚くと共に
胸が痛くなりました。

お母様との確執は前にブログで(?)拝聴していたと
思いましたが、
この記事にリンクされている「50歳のお誕生日前の記事」は
読ませて頂いていなかったようで。。
「ここまで」とは思っていませんでした。

貴女が生きていてくれて良かったー!
貴女が素敵な女性に成長してくれていて本当に良かったー!

お母様は実に許し難いですが、そのお母様自身も、
そうならざるを得ない何かがあったのでしょうね・・?

なんだかまとまりませんが、グダグダと長くなってしまいそう
なので、この辺で筆を置きます。

お母様を見返す(?)為にもぼんぼちさんの納得のいく
人生を全うして下さい。


by 向日葵 (2016-05-14 06:45) 

hirometai

ぼんぼちぼちぼち様
おはようございます
冷たい廊下も読ませて頂きました。
自分が存在するのは、どんな父母であれ、結果として望む望まないに関わらず与えられた人生です。
母と父との辛い過去を淡々と語れるようになられたことに胸が一杯になります。
自分の所に来る対象者の成育環境も聞くに堪えないものがあります。よく生きていてくれたと涙することもあります。
ぼんぼちぼちぼちさんも、自分を見つめながら生きてこられたのですね。読みながら胸が締めつけられました。
自分を見失わず現在まで頑張ってこられてことに
by hirometai (2016-05-14 07:31) 

yoriko

冷たい廊下の言葉のルーツを初めて知り愕然としました、ずっと面白いタイトルだと思っていたので。
人の価値観はそれぞれですが周りを巻き込むことは控えて欲しかったですね。小さな子は親だけが頼り母の虐待を見て見ぬ振りをする父の心の中がどうなっていたのか不思議でなりません。豊かな生活を与えてくれた父親かもしれませんが金銭では買えない豊かさが一番大事だと気が付いて欲しかったですね。
by yoriko (2016-05-14 07:47) 

さる1号

なんと壮絶な
でもそれを貫き通す事が出来るとは
それはそれで凄い @@;)
by さる1号 (2016-05-14 08:51) 

ぼんぼちぼちぼち

みなさん

たくさんの温かいコメント ありがとうございやす。
あっしにとって、過去の人生を吐露することは 自分の精神の膿の絞り出しでやす。
それは読んでくださるかたあってのこと。
こうして たくさんのみなさんに読んでいただけて またぐぐっと気持ちが楽になりやした。
ほんとにありがとう。

そして、ご自身の辛い体験を綴ってくださったかたがた、形は違えど人生にはさまざまな苦しみがありやすね。
お互いに乗り越えて頑張って生きていきやしょうでやす。

父は、母のそんな言動を見て何も言わなかったか・・・・
何ひとつとして言わなかったでやす。
黙ってヘラヘラッと笑って見ているだけでやした。
また、母は父が家にいるとき しょっちゅう父の悪口を口汚く吐いていやしたが
それに対しても ヘラヘラッでやりすごしてやした。
尤も、家に居るのは、多くて週一、少ない時は二カ月か三カ月に一度の日曜日だけでやした。
それ以外の日、父はどこに寝泊まりしていたかというと、複数人囲っていた愛人さんのマンションでやす。

で、なんで父はそんな形でそんな母と夫婦でいたかというと・・・・
母が望まぬ妊娠を理由に結婚を迫ったとき、それを知った父は首をたてに振らなかった。
母は意地になって強行突破し、あっしを勝手に一人で産んで、「これ、アンタの子だから責任取ってよ!」とつきつけた。
だから、父は責任を取るために 仕方なく結婚したんでやす。

もしもあっしが男で父の立場だったら、籍は入れないでやすね。
認知して養育費だけ払う。
あっしは精神的に潔癖なところがあるから、強行突破するような女とは絶対に夫婦になんてなりたくない。 
まぁ、父の性格でやすね。 右に出る者がいないくらいの楽天家だったので。
で、その範囲の中で楽しく生きればいいじゃないか・・・と。

我が家は、あっしが3才までは、貧しかったようでやす。
父は売れないバイオリンニストで、歌番組のバックのオーケストラのアルバイトでしのいでいたそうでやす。
さしずめ現代でいうと、自分のバンドでは食えないギタリストが有名ミュージシャンのバックバンドをやってチラチラテレビに映ってる といったところでしょう。
で、父はルックスが良かった。
だから 金がなくても女性にモテたわけでやす。
母はそんな父を一人占めしたかったようでやす。

私の物心ついた頃から 母は父に愛情らしきものをみじんも抱いてなかったように思いやす。
では何故 そうまでして父と一緒になりたかったかというと、芸能界に片足突っ込んでるような つまり都会人でこその仕事をしている父の存在が 着る物や食べ物と同じように自分のコンプレックスを埋めるための手段だったからのようでやす。

あっしが3才になったら歌番組のアルバイトでも生活ができなくなり、
まるきり違う仕事を始めやしたが、それからみるみる我が家は裕福になりやした。
あっしが3才から9才までは、父の実家の近くの福岡に住んでいたので
母はデパートにはすでによく通っていやしたが、近所に外食できる店やテイクアウトの店もなく 加えて父方の祖母がしょっちゅう来ていたのもあり 贅沢するにも限界があったようでやすが
その後、東京に越してから、本格的に母の常軌を逸した贅沢が暴走し始めやした。

父は、商才があったのでやしょうね。
でも、父自身は、貧しくてもバイオリンニストを続けていたほうが明らかに幸せだったと思いやす。
それにしても、女ってコワいね。
意地になると男の人生めちゃくちゃにできちゃうんだから。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-05-14 13:01) 

rannyan

お母さまは悲しく哀れなほどの劣等感の塊だったのでしょうね..
食べものや服だけでなく、男性に関しても、全てが..
ご本人に自覚がなければ、それはそれで幸せなのかもしれませんが
そんなに突っ張って生きてたら疲れちゃうょと思います
ぼんぼちさんが何一つ受け継がず、素敵な大人になられたことに拍手です
以前、リンクの記事を読んだとき、もしかして女性なのかな?と思ったのです
by rannyan (2016-05-14 15:27) 

johncomeback

昭和10年に北海道の山奥で生まれた僕の母も
レベルは全く違いますが、本質は同じ思考です。
安物を次々に買って、直ぐに飽きて棄ててます。
by johncomeback (2016-05-14 16:13) 

風来鶏

お母様がそれで幸せだったら、悔いのない人生を送られたのではないでしょうか!?
「人間と煙草は同じさ!! 煙になって初めてその価値が分かる」とは、映画『春を背負って』の中の台詞です(^_^)v
by 風来鶏 (2016-05-14 18:16) 

ひでぷに

本当に、ぼんぼちさんの温かみを感じるブログからは想像もできませんでしたし、驚愕しました。
ぼんぼちさんが一番辛かったでしょうが、お母様も心に闇を抱えていてさぞかし辛かったんだろうと想像します。
しかし、そんな環境でも自分を保ち続けたぼんぼちさん、本当に強い方ですね(*´▽`*)


by ひでぷに (2016-05-14 20:31) 

NONNONオヤジ

幼少時の生活環境が人格形成に与える影響はとても大きいものだと、
ぼんぼちさん自身の体験談やお母様のお話を読んで思いました。
やはり、「人それぞれに人生あり」です。
by NONNONオヤジ (2016-05-15 08:21) 

TaekoLovesParis

お母様の浪費を支え続けたお父様がえらいと思います。
お母様は周囲から「一目おかれたい」「愛されたい」という願望が強かったのですね。そのために、ひたすら、がんばって。。。自分のことより子供のことを優先するのが、その時代の母親像だったのに、ユニークです。でも、子供はたまったもんじゃないですよね。ぼんぼちさん、えらいっ。
by TaekoLovesParis (2016-05-15 13:45) 

rappi

環境がお母様の人格を作ったとも言えるのですね。
特にコンプレックスが行動の源にあるのは、
なんだかわかる気もして、同情もしてしまいます。
by rappi (2016-05-15 17:35) 

seawind335

うーん、人であれば誰しも少なからず持っている一面のような気がしますね・・・・
でも、哀しいお話ですね。
by seawind335 (2016-05-15 23:48) 

saia

すべて読ませていただきました。
ずっと不思議な感じを抱いていたタイトルの意味もやっと理解しました。
胸が苦しくてたまりません。
今夜は眠れそうにありません。

by saia (2016-05-15 23:57) 

hypo

お母様の年代の人って、少なからず似た様な所が有るんじゃないかなぁ~。
見栄っ張りで周りの目特に近くの人の目を凄く気にする…。
誰もが自分は中流階級より上と思っていた時代でしたからね。
by hypo (2016-05-16 05:35) 

イヴママ

人の価値観ってとても環境に左右されますよね。
影響されやすい年代もあるでしょうし。
いつもぼんぼちさんは大変な子供時代を
過ごされたのだな~と思っています。
どんな価値観であろうと、子供を気絶するほど殴るのは
天地がひっくり返っても許されない事だと思います。
by イヴママ (2016-05-16 10:24) 

ぼんぼちぼちぼち

みなさん

こんなに長い文なのにあっしの吐露を読んでくださり ありがとうございやす。
あっしは みなさんに読んでいただくことで救われてやす。
感謝感謝でやす・ぺこりっ

そう、母親は劣等感が人一倍強く そのために見返してやりたい気持ちも尋常ではないものがあったようでやす。
着る物・食べ物に限らず すべてに於いてそうでやしたね。
私や弟を私立の小中に行かせたのも(私は小学低学年の頃は福岡に住んでいたので中学からでやしたが) 子供達の幸せを願ってのことではなく 自分の虚栄心を満たすため。
「兄弟達だけには負けたくない」というのも口癖で、母の実家に行くときには いつもにもまして派手な服を着て宝石をじゃらじゃら着けてやした。
そして、「子供を二人とも私立に行かせている」としきりと自慢し、だけど母の兄弟は「ワタクシリツってなんだい?」と その段階からして解らなかなかったので
虚栄が通用しなかったことにまたぎりぎりと歯ぎしりしてやした。
母親は、7人兄弟の末っ子で、、上はみな中学卒なのに母親だけ高校まで行かせてもらったりと 末っ子ということで我がままに育てられたそうでやす。

父弟私の食べるものにも執着し
私がレストランで、今日はそんなにたくさん食べられないからと グラタンとソーダ水だけを注文したら
「そんなもん注文したら貧乏人だと思われる! 親に恥をかかせる気かーーっ!!」と鬼のような顔をし、
家に帰ったら「親に恥をかかせやがった!この親不孝モンがーーっ!!」と ボコボコに殴られやした。
母親の価値基準では、ハンバーグとパフェ とかメニューの中でも高くてボリュームのあるものじゃないと許されないのでやした。
父はイワシを甘しょっぱく煮たものが好きで、当然母は作ってあげたりしやせんから 父が自分で作っていると
「田舎モンみたいなみっともないもの作りやがってー!」と大声でののしり
私が一緒にそれを食べようとすると、「そんなもん不味いから食べるなー!」と 食べさせてもらえやせんでやした。

要するに、母親の虚栄のレベルというのはそんなところであって 自分が到底たちうち出来ないと母自身が解るステージには それは決して自分がたちうち出来ないからじゃないんだという理由づけをして踏み出さないのでやした。
海外旅行は、「ぶっそうだから行くもんじゃないー!」と 一度も行ったことはなく
また、父はロータリークラブのメンバーに推挙されたことがありやしたが
「そんなもんみっともなーい!」と 入会させやせんでやした。
クラブの会員になると、夫人同伴でパーティーなどに出席することとなるからでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-05-16 11:31) 

サンダーソニア

他人から見れば滑稽な と思われていたでしょうに、
弟さんと貴女は厳しい子供時代&青春時代でしたね。
by サンダーソニア (2016-05-17 07:14) 

詩人の血

長年こんがらがった糸が、時と共に解けてゆく…
あなたは、写真を撮り。文章を書いて、時を旅する。
銀河の片隅。この地球。空に宵の明星と三日月が掛かる。

お幸せに!
by 詩人の血 (2016-05-17 11:31) 

ぼんぼちぼちぼち

サンダーソニアさん

あっしが高校卒業までは面倒を見るという責任期間が了ったので 父はあっしが18才になると 母と離婚して愛人さんの一人を本妻にしやした。
それまで経済的負担はすべて父が担ってくれていたのが 今度はそれもあっしに要求されて大変でやした。あっしは父ほど稼げなかったので。
この時期のことは、後日また記事にしようと考えてやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-05-18 10:24) 

ぼんぼちぼちぼち

詩人の血 さん

優しいお言葉 ありがとうございやす。
あっしがいろんな手段を使って自己表現をしているのは すべて精神的膿の絞り出しなんでやすよね。
幼少の頃から自分の思っていることって言ってはならなかったし
18才から母親を養うために画家をやっていた頃も 稼ぐために好きな方向性の作品なんて描けなかったし元より画家になんてなりたくなかったし。
こうしてみなさんに吐露したことを読んで観ていただけて ほんとうに今は幸せでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-05-18 10:31) 

vivian

お母さまって豪快な方だったのですね…^^;

by vivian (2016-05-18 12:00) 

ぼんぼちぼちぼち

vivian さん

美しい言葉でいえば まあそうでやすけどね~
もったいないでやすよね~
あの時にワープできたら、ひとつひとつきちんと食べ了えて
作ってくださった料理人さんに「美味しかったです」と言いたいでやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2016-05-18 21:45) 

ようこくん

今ようやくタイトルの意味がわかりました。
自分自身、そういう経験がないので言葉が見つかりません。
お母様、周り全部を敵に回すようなことばかりされて
本当にお気の毒な方です。心の奥の奥は弱い方で
虚勢をはっていないと生きていけなかったのでしょうね。
だからといって、子どもにそんなひどいことをするなんて許せません。

不幸中の幸いは、ぼんぼちぼちぼちさんが反面教師にされて
優しい大人になられたことです。
お母様が他界されていますが、無理に許そうなんて思わなくて
いいと思います。
その想いを少しずつ吐きだせるようになったことが
きっとご自身でご自身を癒していかれる過程になると思います。


by ようこくん (2016-05-18 23:07) 

ぼんぼちぼちぼち

ようこくんさん

温かいお言葉ありがとうございやす。
仰るとおり、吐けるようになったことが自分を癒すことになってやすね。
他人様には言えない時期が長かったでやす。
家族の恥は自分の恥みたいな気持ちがあって・・・。

そう、母親は、周りを敵に回すようなことばかりしてやしたね。
そういう言動しかできなかったようでやす。
あっしが父の立ち場だったとしても やっぱりあんな女は嫌でやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-05-19 20:18) 

さきしなのてるりん

以前の記事には私はずいぶん上から目線なことを書いたような気がしてる。おかぁさんは病気だったろうな、今なら発達障害って言ってもいいのかもしれないって。反面教師にして育ったぼんさまは別の形でおかぁさんの特別な思想?を身に着けてるような気がしてならない。誰がなんと言ったって私は私っていう主張の在り方。全然形違うけどね。おかぁさんを最後まで好きになれなかったぼんさま、よく耐えて育ってくれましたって今回はいえる。ただ私はそういうおかぁさんと話しがしてみたかったな。
by さきしなのてるりん (2016-05-31 20:29) 

ぼんぼちぼちぼち

さきしなのてるりん さん

>ぼんさまは別の形でおかぁさんの特別な思想?を身に着けてるような気がしてならない
その通りだと思いやす。
世間の多くの人が幸せだと感じることがあっしには幸せと感じられなかったり
世間の人には理解できないことがあっしには幸せだと感じられたりするようでやす。
母親は、飲食店などでではなく ふつうの知り合いに対しては
至って常識的であるかのようなふりをしてやしたよ。
だから、母親が死んでから事実を話したときには驚いた人が多かったでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-06-01 13:27) 

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