無宗教ということ  [独り言]

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私は、無宗教者です。
ですから、街散策の折りに、寺や神社や教会の敷地や建物の中に入ることはしますが、手を合わせたり 賽銭を投げたりはしません。
人と一緒の時は、連れが一儀式終わるまで、漠然と柱を見上げたり 梅の木を眺めたり 砂利をざくざく踏んだりして待っています。
どうしても儀式に参加しないと人間関係が崩壊して 今後の自分の人生に甚だしく支障が生じる場合に限っては、手と手の間に微かな隙間を作って 合わせた「ふり」をし、頭の中でただただ数を勘定し 祈る「演技」をします。

無宗教であるということは こういうことです。
私のような者は、非常に少数であると思います。
しかし、世間には、「私も無宗教者です」と自称する人と 意外と多く出逢います。
けれど、よくよく話を聞いてみると、それらの人の殆どは、実は、日本人に最も多いと思われる「曖昧な淡い多神教者」なのです。
「無宗教」なんて嘘なのです。

私は勿論、「曖昧な淡い多神教者」であることを否定しているのではありません。
曖昧な淡い多神教も 強固な多神教も 曖昧な淡い一神教も 強固な一神教も、信仰は 各々の自由だと考えています。
私が、口の中にジャリッと砂を押し込められて 笑顔で覗きこまれるような、あるいは、靴の中に小石を仕込まれ 「さぁ! 一緒に走りましょう!」と促されるような不快を感ずるのは、この「嘘」を吐かれることにあります。
激しい憤りこそ覚えませんが、決して、気にもならない次の瞬間には忘れてしまえる 羽毛のように軽い嘘ではありません。

もしも相手が、「○○教を信仰しています」と言ったら、「私も○○教の信者です」と 話を合わせて嘘吐きますか?
そう詰め寄りたくなります。
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柴犬

考え深い内容と言うか..なるほど納得!

私的に〜
神社仏閣に立ち、手を合わせたりお辞儀をしたりしてますが・・・
それって、過去の継承や佇まいに対する尊敬心なのかも?

お墓参りの時と、心のあり方は違うかな^^;
by 柴犬 (2013-11-03 10:25) 

toyo

私は「曖昧な淡い多神教者」だと思います。(笑)
それに最近、某お寺さんの檀家になりました。

でも、私はお釈迦様の教えに興味はありますが、
仏教には興味はないのです。
イエスの言っていることには興味はありますが、
キリスト教には興味はないのです。

「口の中にジャリッと砂を押し込められて 笑顔で覗きこまれるような、」
・・経験は何度かありますが、アレは気持ち悪いというか不快というか
「畳の上を土足であがりこむ」ような傲慢さを本人は自覚していない
ですよね。でも、まあ、盲信するとそうなっちゃうんでしょうね。

檀家になってお坊さんから興味深い話を聞きました。それは・・
「よく長いお経をたくさん覚えられていますね?お経の意味を覚える
のに大変だったでしょうね?」
「いえ、そうでもないんですよ。長いお経を暗記するには意味が
わからないほうが覚えやすいんです」
という以外な答えでした。
そうか「意味がわからないほが覚えやすい」のか。

仏教も商売のひとつに過ぎないということでしょうね。お釈迦様の言葉
について聞いてもお坊さん自体もよくわかっていないみたいですね。
でも、このお坊さんは正直で私は嫌いではないです(笑)

長々と書いてしまってごめんなさい。
ほんとの信仰なんて血と汗のギリギリの体験をしなければ無理でしょうね。
ほんとは私も無宗教です。宗教についてはいい加減が一番健康的
じゃないかと思っています。違うかなあ~?
失礼しました。



by toyo (2013-11-03 11:37) 

beny

 信仰の自由とはいえ色んな宗教がありますね。「良いお話が聴けるから一緒に聴きに行かないか」などとやんわり誘って信仰に誘導する〇〇教。また顧客から「〇〇新聞を購読してくれないか」、いらない-と断ると「戦争に息子を取られてもいいのか」などととんでもない事を言い出してくる連中。日本を骨抜きにしようとする邪教の奴らが平和が一番とか言って集団的自衛権の足を引っ張っているんだね。

 自分はやはり仏教徒ですね。霊験あらたかな神社仏閣があれば手を合わせお参りしてしまいます。無節操かな。ただ我が地元の住職さんたちの評判をきくと昔より金銭欲が強い生臭坊主が増えたみたい。あれやこれやと布施が多くて困ります。
by beny (2013-11-03 13:13) 

PENGUIN

宗教は基本的に嫌いです。
宗教が原因で世界中あちこち争いが起きてますよね。
無宗教でいいと思います。
ちなみに私の家は真言宗ですが、一応初詣には行きます。
神社仏閣の佇まいは好きなので。
by PENGUIN (2013-11-03 15:17) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

まぁ、人それぞれですからね。。
いいんじゃ無いですか。
自分は、テキト~男なので、
テキト~にやってますが。。。

by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2013-11-03 16:15) 

チョビ

あー、わかります
「いやだ縁起でもないこと言わないでよ」
という人は言霊信仰者ですからね
でもそれが宗教だとは全然意識していないでしょうね・・・
by チョビ (2013-11-03 18:18) 

ackylacky

「曖昧な淡い多神教者」、なるほど。

トルコ人でイスラム教徒の人と論争ししましたが、神道は多神教だからアラーもキリストも入っていいけれど、他の神様を否定するのはダメなんですと説明しましたが、理解してもらえませんでした。
一神教的な意味での信仰ではないので無宗教と思っている日本人が多いですが、間違った認識だと思います。
by ackylacky (2013-11-03 19:29) 

よいこ

そおかぁ、私は多神教者だったんだと、初めて気づかされました
なるほど
by よいこ (2013-11-03 20:04) 

yoko-minato

私も無宗教だと思っていましたが
言われてみると淡い多神教者のような気が
します。
by yoko-minato (2013-11-03 20:46) 

inuneko

驚きました!
何かを熱心に信仰してる人と同じ強さと真剣さで「無宗教」を実践されているのですね!
目が合った人に会釈をするように、どの神サマにも頭を垂れるボクはあいまいな多神教ですかねぇ。
マジメに考えたことも無かったなぁ…。
by inuneko (2013-11-04 00:04) 

藤並 海

特に信心をしているわけではありませんが
先祖をお祭りしているお寺の檀家であり
神社では手を合わせます

ご先祖様と仏様、日本の八百万の神々に感謝しつつ生きてます
なので『無宗教』ではないと思います
が、「○○教の信者です」と言えるものでもない

こういう状況で「無宗教です」というような人の事を言われてるのでしょうか?
『無宗教』にはならないですよね(^^
by 藤並 海 (2013-11-04 01:09) 

シービーちゃん

私を含め多くの日本人は、正月には初詣に行き、お盆には墓参り、クリスマスにはお祝い事をします。日本人の宗教は、まさにこれなんですよね。無宗教な人は、ほとんどいないと思います。
by シービーちゃん (2013-11-04 01:17) 

NONNONオヤジ

特定の宗教に傾倒してはいませんが、「信仰心」はあると思います。
試験の前日などには近所の氏神様にお参りして手を合わせます。
ぼくにとっては精神的安心感を得るための手段なのかもしれません。
ですから、祈る相手はキリスト様でもマホメット様でもお釈迦様でもなく、
おそらく「八百万の神」もしくは抽象的な「神」という存在なのだと思います。
各宗教を信仰している方からお叱りを受けそうですが、ぼくはむしろ、
イスラム教徒は豚肉を口にしてはいけない、断食をしなければいけない、
モルモン教徒は酒・タバコ・コーヒー等の嗜好品を一切口にしてはいけない、
などという、自分に何かを禁じる、あるいは自分に何かを課すことが
「信仰心の表現」だと考えられていることに疑問を感じます。


by NONNONオヤジ (2013-11-04 07:38) 

オカジュン765

おはようございます。まいど訪問おおきにです。
私は真言宗徒ですが特別毎日のお勤めをしたりはしていません。ただご先祖様を敬い、お線香を焚き手を合わす。これは宗教的なことよりも感謝の気持ちだと思います。本来の宗教というのは信仰ではなく生きる術を説いていると聞いたことがありますがその通りだと思います。
生まれてお宮参りをし、結婚式を教会であげ、お葬式は仏式でというのは日本ではもう当たり前で、宗教というよりは行事になっているのでしょう。
ただ宗教の自宅勧誘に来たときは、無宗教者というより「私は〇〇宗徒ですので」と言った方が簡単に追っ払えますよ。
by オカジュン765 (2013-11-04 08:55) 

moto_mach

正直、深く考えたことは無かったですね
教義とかを教わったり理解していなければ
無宗教かなと思っていましたよ
by moto_mach (2013-11-04 09:16) 

ぼんぼちぼちぼち

みなさん

さっそく沢山の様々なご意見 ありがとうございやす・ぺこりっ
そう、殆どの日本人は、初詣にゆき 墓参りをし クリスマスにはパーティーといった生活でやすね。
で、散歩の途中に、地蔵や稲荷神社をみつけると 手を合わせる。
記事中でも書いてるように 人それぞれの自由なので、よいと思いやす。
日本には昔から、竈には竈の神様が 便所には便所の神様がいると言われ、また、神と仏が一緒だった時代もありやすしね。
淡い多神教である歴史の長い民族で、それが当たり前すぎて、逆にそうであることを意識していないかたが多いように感じてやす。 勿論、これも否定しているのでは決してありやせん。

だから、クリスマスもハロウィンもイースターも 抵抗なく受け入れている・・・。
あ、あっしもクリスマスには、ツリーも鑑賞すれば クリスマスソングも聴き 美味しいもの&ケーキも食べやすよ。
でも、その「美味しいもの」が、鍋だったりしやすが。
ただ、「メリークリスマス」とは絶対言わないでやす。

他には----
ファッションでロザリオを下げたり チベット密教曼荼羅のTシャツを着たり ガネーシャの小さな像を飾ったりはしてやす。
これらは、「単にモチーフとして美しいと思うから」という理由でやす。

>お釈迦様の教えに興味はありますが、
仏教には興味はないのです。
イエスの言っていることには興味はありますが、
キリスト教には興味はないのです。
なるほど、理解できやす。
あっしも 知識として、それがどういうものであるのか 知っておこう という気持ちはありやす。
つきつめると無宗教のかたも、手を合わせたりお金を払ったりすることに 苦痛や理不尽さを感じないのであれば そうすることはよいでやすね。

そう、無理やり勧めたり 争いごとの種になったり・・・・嫌でやすね。
そういえば----
あっしが今住んでるとこに越してきて二日目。
新聞の勧誘よりも早く 某宗教の勧誘がきやした。 女性二人で。
「御話を聴いていただきたいので・・・」と仰るので、インターホン越しに
「宗教のかたですか?」と聞くと
「いいえ、違います」とキッパリ否定するので、ドアを開けたら 果たして宗教でやした。
「なんで嘘をつくんですか?」と、かなり怒りをあらわにすると
「私が宗教なのではなく 宗教を信仰している者です」とか何とか 消防署のほうから来ました的な屁理屈をしらっと言うので
「あなたがたは、宗教よりも、まず小学生レベルの『こくご』から学びなさいっ!!」と、延々20分くらい説教をしやした。
女性二人は、大人しくあっしの話を聴いてやした(◎o◎)

by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-04 10:28) 

にすけん

 宗教そのものに浸り込むのは本人の理解と納得が必要ですが、寺院の芸術性や、祈祷の動作が湛える優しい印象なんかは、万人がちょっと触れてみたくなる魅力がありますよね。
 やはり損得勘定を排除して関連事物を造り込み、本心の思いで動作をするからではないでしょうか。だからってその教えそのものに迎合する訳ではない、という一線を確認できるお付き合いが良いですね。
by にすけん (2013-11-04 11:44) 

k_iga

先日、ネットで読んだ記事。
ある大学教授が生徒に「無神論者か?」と問う。
うなずく生徒たち。
神社などの御守りを持ってる生徒にハサミを渡して「切り刻め」と
言うと誰も出来ない。理由は「バチが当たりそうだから」。

「君たちは神も仏も信じてないのに出来ないのか?」

そりゃあ、私も出来ないな。
by k_iga (2013-11-04 16:39) 

ponnta1351

ミッションスクールで6年間過ごしましたが、洗礼は受けませんでした。
日頃思うのは、キリスト教信者でもないのに、クリスマス。
ケーキ、七面鳥を食べて、プレゼント交換。終わったらすぐお正月で初詣。バッカジャナカロカ日本人です。
皇室は神道なのにクリスマスパーティーなる物をする未来のあの人。
丸ごとソウ○○○に取り込まれてどうするの?

確かに、私は曖昧な多神教者かも知れないけど、ソウ○○○だけはゴメンコウムリマス。
by ponnta1351 (2013-11-04 16:57) 

ぼんぼちぼちぼち

にすけんさん

宗教から生まれた芸術には素晴らしいものも多いでやすね。
ゴスペル、曼荼羅、イコン等々々・・・・
あっしは、芸術として客観的に鑑賞する分には 幾多の宗教に興味を持っておりやす。
高校一年のときに美術史の教科書で見たガンダーラの仏像の美しさへの感動は 今も記憶に強いでやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-04 18:39) 

ぼんぼちぼちぼち

k_iga さん

そうでやすそうでやす まさにそういうことでやす。
あっしは、何の抵抗もなく切りきざめやす。
あっしにとって神社のお守りは 「単なる美しい織りの小袋」なので。
尤も 所有自体してやせんが。

そうなんでやすよ、ここに登場する学生さんのようなかたに「自分も無神論者ですよ」と言われると、あっしは
「あなたは 私とは違う、嘘つかないで」と思わずにはおれんのでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-04 18:53) 

ぼんぼちぼちぼち

ponnta1351 さん

最近はハロウィンも加わったので、秋~冬は ますます忙しくなりつつありやすね。
ちなみにハロウィンは、ケルト民族の土着の宗教から発生しているようでやすね。
ハロウィンを、単なる仮装パーティーと認識するのであれば、あっしは仮装が好きなので参加してもいいかな。

海外の人達から見たら、日本人は随分奇妙に映るでやしょうなぁ(◎o◎)
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-04 19:06) 

そらへい

一つの信仰を信じるのが宗教として
いくつもの信仰に手を合わせてしまう、
結局どれ一つと信じていないので
無宗教と言っているのではないでしょうか。
そしてそのような認識の人たちにとって
ぼんぼちぼちぼちさんの徹底ぶりは
わからないと思います。
ぼんぼちぼちぼちさんの宗教へのスタンスは
無宗教と言うより非宗教のように思えます。
妥協せず排しているように見えます。

by そらへい (2013-11-04 21:53) 

prin4795

仰るとおり、正直なかたですね
日本人の宗教観はめちゃくちゃです。
なんでもあり~人がやってるから、みんなこうしているから~
概念で、何もしらべもせず、
親がこうしているから、
クリスマス終わると神社で、
法事はお寺で
結婚式は教会で、節操がない~
実際何も知らない、行動の裏付けの理論があいまい
疑問ももたない、ぼんぼちぼちぼちさんは、潔いし、意見をお持ちです。


by prin4795 (2013-11-04 22:08) 

fullcon

基本的に賽銭箱のあるところは信用してません。
前払い制が納得いかないので。

結果が出てからのお礼の賽銭は理にかなってると思うのですが、、、
by fullcon (2013-11-05 00:07) 

ひめ柴

k_igaさんの仰った記事、私も読みました!
そしてぼんぼちぼちぼちさんのこの記事を読んで思い出しました。
外国の人にとって宗教って
日本人にとっての宗教とは似ても似つかない部分が多いと、つくづく感じます(@@;
日本の風習も独特ですよね。
生まれたら神社へお参りし、結婚式は教会という選択肢も可能で、死んだら葬式で仏に。
私は割りと信心深いかもしれません。ただそれが何の宗教かっと聞かれたら......(〃´・ω・`)ゞ
by ひめ柴 (2013-11-05 00:25) 

ぼんぼちぼちぼち

そらへいさん

あぁ、無宗教というより非宗教・・・・確かに、そう称するほうが相応しいかも知れやせん。

あちこちで手を合わせておられるかた、結局どれ一つと信じておられないのでやすか・・・。
だとしたら、上にk_iga さんが書かれているように、神社のお守りを切り刻めるのかな?と思いやす。

by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 09:47) 

ぼんぼちぼちぼち

prin4795 さん

実は、ここまで正直な意見を 不特定多数のかたが閲覧くださるブログという手段で以って書いていいのだろうか?・・・と、結構長い間逡巡してやした。
「宗教」について書くことは控えたほうが適切なのではないか・・・と。
でも、どうしても吐露したいことの一つでやしたし
他の人の考えを決して否定しているわけではないので
そこをきちんと説明すれば不適切ではないかな・・・と。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 10:01) 

ぼんぼちぼちぼち

fullconさん

なるほど、前払い制は納得いかないのでやすね。
その考えも 多数派に流されない信念でやすね(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 10:23) 

ぼんぼちぼちぼち

ひめ柴さん

そう、宗教観が違い過ぎるために 海外の映画や演劇を観てて なんだかピンとこないことって多いでやすよね。
逆にいうと、もしも日本の映画で、生まれたら神社へお参りして、結婚式は教会で、死んだら葬式で仏様に というのを海外のかたが観たら、やはり不思議に感じられるでやしょうなぁ。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 10:39) 

すず

こんにちは
宗教とか信仰の有無よりも 
その人がどんな人なのか
どんな心の持ち主なのか
私はその方に興味があります^^






by すず (2013-11-05 13:15) 

エコピーマン

なかなか興味深い無宗教論ですね 私はもちろん無宗教ですが
勿論寺や神社などにはいきません どうしてもそうしないと人間的な関係が問われる時は 手を合わせ祈願というなりのことはします
これは 日本人なら日常茶飯事無意識におこなっていることです
宗教に該当するかといえば 違うと考えます
神社や お寺 お稲荷様 などに 行ったりするのは昔は
レジャーだったのです 観光地にいくようなその程度のものなのです

この「祈願」行為は単なる感情であり 誰であれ その時に特定しない人達だったり大切な人を思う気持ちです ニュースで事件が起こり負傷した人達に 助かってほしいと思うのは自然な感情だと思います
親が亡くなっても お墓や 法事などの行事も私は必要ないと考えています そんな行事があるから いろいろな問題が生じてくるとも思ってます
今後その色彩は顕著に縮小いくと思っています
日本人の独特で良いところは 敬虔な宗教観がないところだとも思っています

私は宗教などなくなればいいとも思っています 世界中で宗教・派で紛争が絶えません 本当に信仰がよいものであれば こんな現象は起こらないのではないでしょうか 日本は宗教紛争などありません
このことが 日本人の宗教に対する寛容的な捉え方が存在するとからではないかと考察しております 日本は宗教より儒教の影響の方が強いと
捉えています 日本の行事はほとんどが儒教のものです

また 心のよりどころとして 宗教に没するのは愚かなことだと考えます
宗教にのめり込んだりすると 日本ではろくなことはないのではないかと思えるのです 人と人の関係もそのことにより 崩れ去ってしまうのではないでしょうか まあ出家すればそうなるでしょうが そこまでの気概はないでしょう

お守りに関しては ある人がわざわざ出向いて購入してくれたものを切り刻むことはできませんが 神社などに売っているお守りを切り刻むことはできます
人の心が籠もっていないものは ただの布きれですから

葬儀についても これは神社・寺 ・葬儀業者の飯の糧であり 考えるだけで 胸くそ悪くなります 戒名など必要ないし家族でしめやかにおこない
火葬し たくさんの思い出は 心の中 もっと的確にいうと その人の脳の中脳が健全な期間 記憶されているだけで充分なのではないでしょうか
墓なども不必要 これから日本は葬儀だらけ そのたびに主席するのも大変な負担です 胸に手をあてて正直になってみてください

それに宗教法人というものも数多に存在しますが これらもマザー・テレサの言葉にある 信仰は組織になればその組織を運営するために営利を追求し 本来の意義がすり替わってしまい 誰のために組織があるのか
わからなくなる 組織で働く人の糧になる もっともな考察です

バチカンもそうです バチカンは過去科学者を弾圧しました それは何故か
聖書に書かれていること・信仰が 科学というものにより覆される
今まさに 科学は危惧していた神の領域に入りました 勿論神の領域といういのは人間が作った概念ですが それは未知のものという畏れから来るものです 近代科学によってその未知という畏れは払拭されてきました

これは聖書の存在を揺るがすものです 未知ではなくなるのですから
想像の根拠が否定されるのですから これから宗教というものを
もう一度 検証しなければならない時がやがてくるでしょう
人間は未知というもの 現象に畏敬の念を抱き 未知なるものを神と称して崇拝してきたのですから

私の考えはざっくりと以上のようなものです
私は 神の存在・信仰などは 否定論者です


by エコピーマン (2013-11-05 13:31) 

padn1131

初めまして。

あくまでも個人的な意見ですが、他人がどのような
宗教に入っていようが宗教に関してどのような考えを
持っていようが自由なのは憲法に記されている通りです。
ですから、他人である私がその人が「無宗教です」と答える
質問をすることはないです。
宗教の話はごく身近な人とだけ話すようにしています。
無理やり勧誘してくるのは嫌ですが、それ以外で日常で
宗教の話をすることは無いです、腹が立つならしません。
by padn1131 (2013-11-05 13:35) 

ぼんぼちぼちぼち

すずさん

大きく頷けやす。 そういう人間でありたいと思いやす。
世の中の少なからずの人って、「あの人、○○教の信者なのね」と知ると
宗教レッテルでその人のすべてをくるんで考えてしまう傾向にありやすよね。
正直なところ、あっしにもありやす。
「あんまり親しくしたら入信すすめられちゃうかしら」とかって。
あっし自身、そこのとこ反省でやす。
なにを信仰していようが いなかろうが、その人の本質と向き合いたいと思いやす(◎o◎)b

by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 20:32) 

サンダーソニア

宗教の話は難しいですね。
他人が信じていることに関して
とやかくは言いたくはないのですが
友人が宗教に関係して家を出てしまったので
とやかく言うべきだったと今でもそう思います。
当時、2時間くらい話し合ってはいるんですけど。
by サンダーソニア (2013-11-05 21:10) 

ぼんぼちぼちぼち

エコピーマンさん

こんなあっしなんぞの記事に、とても丁寧なご意見、ありがとうございやす・ぺこりっ

そう、御参りって もともとレジャーだったのでやすよね。
あっしも散歩の途中や日帰り旅行の折りに 寺や神社や教会を覗いて その建築美を堪能するのは好きでやす。
レジャー気分、よく解りやす。

そう、日本って、儒教の影響大きいでやすよね。
これにも 多くの日本人は無自覚だったりしやすね。

拝読してて、エコピーマンさんのお考えに頷くところもあるのでやすが 同意できないところもありやす。
それは---
>私は宗教などなくなればいいとも思っています
という考えでやす。
あっしは、自分はキッパリとした無宗教者ではありやすが、世の中から宗教がなくなればいいとは思っておりやせん。
勿論、殺し合いや財産搾取など 人を不幸にする宗教には否定的な感情を持ちやす。

しかし---
あっしが「何も信仰しない」という信念を持ち続けていることで 己れのアイデンティティが保たれているのと同じに
何かを信仰しなければアイデンティティが保てない人 というのも大勢おられるわけでやす。
それらのかたにとっては、宗教はその人を 間違いなく幸せにしている訳でやす。
自分が無宗教者だからといって、「ほら、こんなによくないことがある。世の中 無宗教になったほうがいい」 と考えるのは
何かの信仰をしている人が、「ほら、こんなにいいことがあるんだから 世の中の人は何かを信仰したほうがいい」 と考えるのと同じだと思いやす。
人間って みな違うので どういう考え方をするのがその人にとって最も幸せか 違うと思いやす。

あっしは、何の宗教でも また無宗教でも、他者も自分と同じ考えであるべきだ、と考えることがよくないと思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 21:30) 

ぼんぼちぼちぼち

padn1131 さん

あっしも、よほど親しい間柄の人以外とは、自分から宗教云々の話は まずしやせんね。
どういう流れで 記事に書いたように「私も無宗教です」という言葉を聞くこととなるかというと----
例えば、初詣を例に取ると
一緒に行った人が手を合わせ賽銭を投げる。
あっしは、その間、砂利を踏んで待っている。
「ぼんぼちさん、なんで御参りしないの?」
「私、無宗教者だから」(こういう流れ以外で 自分が無宗教者だと自ら名乗ることはまずありやせん)
「私も無宗教者だよ」(と言いつつ おみくじを引いたり お守りを買ったりする)
ぼんぼち、内心、「私はあなたとは違う・・・・」と つぶやく。
----と。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 21:53) 

ぼんぼちぼちぼち

サンダーソニアさん

そうだったのでやすか・・・・。
そのご友人、家を出られて、今現在はお幸せなのかな?
幸せじゃなかったら、とやかく言ったほうがよかった・・・って思ってしまいやすね。
うん、難しい・・・・。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-05 21:59) 

エコピーマン

仰る通りですね ちょっと飛躍してしまいました
外国に行って 宗教の話をして無宗教・神の信じないと発言すれば
こいつは信用できない 人が見ていないところでは
どんな悪事をするかわからないやつという
レッテルを貼られますから 日本では人それぞれと言える
寛容さが やはり日本は素晴らしいですね
世界の信仰者も そう思ってほしいですね
by エコピーマン (2013-11-06 01:00) 

ぼんぼちぼちぼち

エコピーマンさん

再訪ありがとうでやす・ぺこりっ

そう、海外で「自分は無宗教」と言うと すなはち信用できない人間 とされるのでやすよね。
履歴書に相当する書類には 信仰は何かを書きこむ欄もあるとか。
まぁ、あっしなんざぁ、一生日本から出ることなく暮らしてゆくこと間違いないので その問題を心配する必要はないのでやすがf(◎o◎)

>日本では人それぞれと言える
寛容さが やはり日本は素晴らしいですね
仰る通りだと思いやす(◎o◎)b

by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-06 09:34) 

そらへい

いろいろなところで手をあわすことが出来る人は
お守りを切り刻むことは出来ないと思いますが
いくつものお守りやお札を机の引き出しの隅や
あちこちにうち捨てていることと思います。
by そらへい (2013-11-06 21:09) 

あゆこ

ある社会学者、小室直樹がいうには「日本には宗教なんてない」んだそうですよ。改宗しても生活は曲げない、おかげ信仰、利益分配してくれないと神じゃないという感覚、偶像を有難がる日本的な感覚のまま、自分は◯◯教と言ったりするけど、それは日本教◯◯派に過ぎないやうです。

「日本には道徳(皆の利益や空気)はあるけど倫理(宗教規範)はない。」
(弟子の宮台真司の言)

面白いので失礼ながらご紹介させて頂きます。
小室直樹 宗教「日本教」①
http://www.youtube.com/watch?v=svBTxN82pVA&sns=em
by あゆこ (2013-11-06 21:15) 

さきしなのてるりん

わたくし、八百万の神を信じております。トイレの神様なんぞ、一番好きですね。お蔭でかわいい女の子に恵まれたんだから。。。死んだばあさんのそんな事すりゃ(神様の)バチが当たるとか、めがつぶれるとかいう言葉は今でも私の中で生きてますからね。いえば私の生きる指針になってるかも。母の言葉の中には農的な暮らしにつながる神様の言葉が一杯含まれてるようだなぁ。原始的宗教観かな。
by さきしなのてるりん (2013-11-06 21:50) 

こじろう

日本人の「無宗教です!」は,外国人は理解に苦しむようだなぁ~。
「いただきます」とか「ごちそうさま」も,一種の宗教的な行為に感じるようだし。
ただ,アメリカの友人は「先祖を敬う気持ちも宗教だから」と言ってくれるから助かるけど・・・。

あ,自分は無神論者ではないのであしからず。

by こじろう (2013-11-06 22:32) 

ぼんぼちぼちぼち

そらへいさん

あぁ なるほど。
そういうかたが 日本人に最も多いと思いやすね。
残飯と一緒に可燃ごみにポイッは なんとなくバチ当たりな気持ちがしてできないけれど
机の引き出しの隅にいれっ放して 忘れたことにしちゃおうっていう(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-07 12:29) 

ぼんぼちぼちぼち

あゆこさん

小室直樹 宗教「日本教」① ②③ 観やした。
あっしの言う「曖昧な淡い多神教」と小室先生の仰る「日本教」は同じだと思いやした。
あっしが考え至らなかった因果関係や上手に言葉にできなかった部分なども 説いてくださっていて、とても興味深く拝聴しやした。
---そう、あっしは、日本教の最も特徴的なところ「みなに同調する空気」が嫌なんでやすよね。

ゆーちゅーぶの小室先生の講義、他のもいろいろ観てみようと思いやす。
有意義な情報をありがとうございやす・ぺこりっ
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-07 12:42) 

ぼんぼちぼちぼち

きさしなのてるりんさん

なるほど。
生きる指針になられている・・・大昔の人も こうして「よしっ、明日またばんばって畑を耕そう!」と 励みにしてきたのだろうなぁと思いを馳せやした(◎o◎)b

by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-07 13:57) 

ぼんぼちぼちぼち

こじろうさん

外国のかたからすると、無宗教者なんて考えられないでやしょうね。
こじろうさんが挙げてくださったことから考えても 自分はつくづく無神論者だと実感しやす。

「いただきます」「ごちそうさま」は、人から御馳走になるとき なったときに 御馳走してくれた相手に、
「ごちそうさま」は 飲食店で器を下げてもらうときと会計時、それ以外は言わないでやすね。
「それは作物を作ってくれた人や食べ物となってくれた動物に感謝するために言う言葉でもあるのだから 誰も聞いていなくても言うべきだよ」と仰る人がいやす。
そう思うかたは一人でも言えばいいと思いやす。
あっしは誰もいないところで言っても なにも届かないと考えるので言いやせん。
田畑に行ったら直接「ごくろうさまです」と言いやす。

そして、先祖を敬う気持ち というのも、あっしにはみぢんもありやせん。
先祖に尊敬に値すべき人格者がいれば尊敬するし、軽蔑すべきがいたら軽蔑しやす。
それは見ず知らずの他人に対してそう思うのと同じでやす。
自分の先祖だから云々という感情は何もありやせん。
by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-07 15:12) 

vientre-dolor

宗教を勧誘して来る人達って、入信すると必ず良いことがあるから自信を持って勧めると言いますが、まず、自分が宗教者だということをひたすら隠しますよね。
それで、相手の性格などを観察して言葉攻めにすれば落とせると確信してから、実は・・・と話しを切りだして騙し討ちを平気でしますよね。

前の職場の人とアドレス交換(普段は断るのですが)契約社員の契約切れが近づいていたので気を許して教えてしまったんですけど・・・

次の職場が決まった私のお祝い+久々なので昼食でもと誘われました。

待ち合わせをした場所には知らない人が近くに一人居て
偶然会ったので付いて来ちゃいました・・・と非常識+見え見えのウソを・・・この瞬間に宗教関連の奴らだと気付きました。

昼食と言いながら、ファミレスに入ると二人ともアイスコーヒーのみの注文!私は、昼食のために来たんじゃないのか~とキレかけました。

その見ず知らずの人が私の職歴や家族構成を聴いて来たので
お前ら宗教の勧誘やろ!と恫喝したら
二人同時に顔を見合わせて顔色を変えていました。

どんなに断っても同じ話しの繰り返しなので、
自分が頼んだアイスコーヒー代、小銭が無かったので
1,000円札をそいつの顔面に叩き付けて、
「残念や」と一言だけ残して店を出ました。
店を出た直後に、
メールアドレスを変えて着信拒否設定にしてやりました。^m^

宗教をしている奴って大半が狂っていますよね。
勧誘をする自体が間違いですよね。
その人の人間性を間近で観て共鳴し
是非とも入りたいと思わせる行動を取ってくれないと
単なる悪質な押し売りと同じです。

宗教者は大嫌いです。(--〆)
by vientre-dolor (2013-11-09 09:59) 

ぼんぼちぼちぼち

vientre-dolor さん

あ~ すごく解りやす、ありがちな話でやすよね~(◎o◎:
あっしも、無理やりの勧誘でキレて その人との一切の人間関係を絶ったことが二度ありやす。

あっしは、決して 世の中のすべての宗教を否定するわけではないのでやすが
・最初は宗教者であることをひた隠しにする
・嘘を言って近づく
・無理やり勧誘する
こういう宗教は大嫌いでやす。

「あなたが何を熱心に信じていようが自由だけれど、無理やり勧誘するのはやめて!」と 思いやす(◎o◎:

by ぼんぼちぼちぼち (2013-11-09 12:06) 

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