映画「憂国」  [感想文]

今日は、映画「憂国」を通して、作品のバランスとエネルギーについて考察したいと思います。
「憂国」は、かの三島由紀夫の同名小説を、氏 自らが 制作・監督 さらには主演までもを担って1965年に創られた 白黒の短編劇映画です。

二二六事件の中、仲むつまじい新婚であることを理由に 同志から反乱軍への肩をたたかれなかった武山信二中尉は、結果、同志と敵対せねばならぬ立場へ追いつめられ、軍人としての誇りに満ちた判断により、己れに選択すべきは「死」のみであると 割腹死を遂げます。
そして、夫が命を了える時には軍人の妻としてのつとめを果たすべく自らも後を追うのだと かねてから意をかたくしていた妻 麗子も、喉を突き 夫の元に旅立ちます。

シノプシスはこのようなもので、そこに「愛と大儀の結合」という 後期三島こそのテーマが 大きく呼吸(いき)づいています。

小説のほうを先に読み知っていた私は、幾多の戯曲も生み その演出に携わり、又、役者としても スクリーンや板に登場していた このマルチ表現者が、自身の小説をどう映像化しているのか、強く興味を覚えずにはおれませんでした。
憂国2.jpg

私は 映画がまわり始めるや、「あぁ! なるほど!!」と 心の中に大きく声をあげました。
小説は、何か特異な手法で以って書かれている訳ではなく、いわゆる 一般的なリアリズム形式です。
しかし、スクリーンに映し出された武山夫妻の家は、能舞台を模した白いセットであり、必要な小道具のみ----遺品の畳紙や遺書をしたためる書道具一式や夫人の集める小動物の置物や軍刀など-----が その空間の中に唐突に置かれ、本物の能舞台で松が描かれている位置には「至誠」と書かれた軸が 大きく掲げられていました。
そして、それらの 引くことで構築したセットや小道具に相応しく、登場人物は 無言劇にて 様式的な動きをすすめます。
特に 夫婦最期の交わりのシーンは、二体のギリシャ彫像の如きでした。
-----なるほど、言葉の持つ世界観と 直接的に視覚・聴覚にうったえる映画というものの世界観は別物なのだから、このテーマに突き進むには これが最上級の方法だろう。
もしも、リアルに 畳や襖や生活道具などがはいされ、リアルに 人物が動き台詞を発していたら、この 余りにも現代の一般的概念からは距離のある強固なテーマは 薄まってしまうだろう。
--------と。

「なるほど」「なるほど」と観進むうち、三島演ずる武山が 腹を見せ 刀を手に取り------
ここで私の心は、「・・・・・・」と 絶句してしまいました。
こう様式的に作品を進めているのなら、割腹も同一のトーンに揃えるのが 表現として当然のまとめかたです。
腹に刀を突き立てる
あっ!という武山の顔
夫人の白無垢に飛ぶ小さな血の粒
あっ!という夫人の顔
真一文字に引かれる刀
「至誠」にドッ!と斜めに飛び散る血
武山 ガックリ前のめりに
--------と。
憂国3.jpg
ところが------
腹からは、おびただしい量の血液のみならず 腸がどろんどろんと飛び出し、武山の皮膚は汗に濡れるばかりでなく 口からは 泡よだれがだらだら垂れるのです。
「どこまで本物のように見せられるか勝負」のスプラッタ物の如き生生しさなのです。
以降、夫人の化粧 自決は 再び様式的となり、ラストの 海を思わせる石庭に一滴の血も見せずに寄りそい眠るように旅立った二人は、まるで 構築を重ねた末に完成した美術作品さながらの象徴美にまで のぼりつめます。

通常、一編の作中で 一部だけ別物のトーンの つまり バランスに欠ける作品は、基本的に、如何なる芸術ジャンルに於いても 秀作とは言えません。
理屈を解らずに観た者ですら「何故だか理由は解らないけれど、釈然としない 変な作品だ」と感ずるものです。
例えば、点描の絵画で 一か所 リンゴだけがツルッツルのマチエールで描かれていたり、現代の日常を舞台としたテレビドラマで 一人だけ 新劇調の動きと台詞まわしの役者がいたり、童話の朗読で 一行だけ 大人向きの小説のように読んだり・・・・と。
効果的に際立たせるために あえて強調したいところを調子を変える というのは、しばしば用いられる手法ですが、変える「度合い」というものが全体のバランスから逸脱してしまっては 効果とは言えないものになってしまいます。

実際、世の中には、作者の力不足や商業的な都合でバランスに欠ける作品が 少なくありません。
前者には 作品観賞に費やしてしまった時間と代金喪失への後悔が、後者には 一心に仕事に臨む役者さんへの同情など ただただ悲しい気持ちだけが残ります。
私は、「どんな作品が優れていると思いますか?」と聞かれたら 一も二もなく「バランスの取れている作品です」と 答えるくらいです。
それほどに、バランスというものは 作品の出来を決定づける重要な要素だと考えています。

憂国4.jpg
しかし--------
それなら この「憂国」も駄作だと思うか? と問われたら-------
確かに 初観の瞬間は 余りの予想外の変調に言葉を失ってしまいましたが、この作品に限っては 首を縦にふれないものがあります。
何故なら------
この作品は アンバランスであるにも関わらず、それを遥かに超えるエネルギーがさく裂しているからです。
観る者は、変調にあ然としつつも バランスの欠如に眉をひそめるいとまなく この 尋常ならぬエネルギーに 心を奪い去られます。
尋常ならぬエネルギーとは 言うまでもなく、最終的には 氏が 表現の世界にとどまらず具現化してしまった 氏 ならではの「美学」です。
----三島氏の内に 余りにこのエネルギーが強かったために、氏からしたら「効果的な際立たせ」のつもりが 客観的には「バランスからの逸脱」になってしまったのに他ならないのです。 私はそう考えます。
こういったエネルギーには-----エネルギーの方向性・内容に共感できるかどうかは別問題として-----バランスの欠如など どうでもよくなるくらいに 心を突き動かされるものです。
さらには、やはり 方向性・内容は 如何なるものだとしても、これほどのエネルギーには そうそう遭遇できはしないものです。

「憂国」は、以上の観点からも、非常に貴重な、日本映画史に永遠に残り続ける作品である と思います。
憂国1.jpg

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斗夢

三島由紀夫の割腹・・・当時理解できず今でも理解出来ていません。
三島の内なるバランスの崩れというべきなのか傾斜というべきなのか?
by 斗夢 (2011-11-23 08:35) 

カリメロ

三島由紀夫さんは色んな意味で惹かれる方。
私自身の成長過程でその時期に合った!?書物も読んで来ましたが、独特の世界観で・・・
「理解できないけれど、共感できる」!?と言った変な言葉でしか表現できません。
この映画もそうなってしまいます・・・^^;

by カリメロ (2011-11-23 12:43) 

にすけん

 鑑賞者のイメージ力を信用した、高度な造りの映画ですね。
 記録・再現技術の発達には目覚ましいものがありますが、鑑賞者が直接事実を見て意識するものが再現できればよい、あるいは再現などしなくても、狙った意識が作り出せればよい訳で、今の時代にこそ注目したいコンセプトです。秀逸!
by にすけん (2011-11-23 15:34) 

ちゃーちゃん

お話の内容はワタシにはとっても論ずる事が出来ませんが、「憂国」と言う字がバックの色によって感じ方が随分変わる物だなぁ・・・と思って眺めています・・・( ̄~ ̄;)
by ちゃーちゃん (2011-11-23 16:18) 

ナツパパ

割腹という行為が三島にとってはリアリティーのあるものだったから...
と、一瞬思ったのですが、これは三島の最期を知っている故の後付かも。
そこだけ写実風というのは、やはり何らかの意図があってのことですよねえ。
by ナツパパ (2011-11-23 18:16) 

般若坊

三島由紀夫の”憂国”を彼の美学とするなら、苦しい美学ですね。
結局彼の美学を世の中に問いかける為に、彼自身割腹して提議したと思わざるを得ません。
by 般若坊 (2011-11-23 18:46) 

サンダーソニア

バランスって危ういほうが印象に残りますね。
by サンダーソニア (2011-11-23 19:25) 

ラック

リアルでグロテスクなものと対極的な形式美=光と闇こそ
三島の美学でしょうか。
by ラック (2011-11-23 22:46) 

ぼんぼちぼちぼち

みなさん

今年も もうすぐ憂国忌(11月25日)でやすね。
三島自決の理由は、今も 諸説論じられ続けておりやすね。
勿論、理由は単純にひとつに言い切れるものではないわけでやすが
あっしは、端的に整理すると 以下によるものだと考えてやす。

表現者として 書かずにおれないものを書き尽くした。
肉体的に老いてゆくのに耐えられなかった。
それを、もともと持ち続けていたマゾヒスティックな 破滅の美学 という 氏の最も憧れる形でもってカットアウトした と。

だから、自身の訴えが解ってもらえなかったから やむなく自決したのではないと あっしは思いやす。
「自分の訴えが解ってもらえなかったから やむなく自決する」というのは
三島が 自分の実人生のために計画的に書き下ろしたシナリオだった と。

何故なら、あれだけの天才的人気作家が 国や自衛隊に本心から改正を望んでいるのなら もっと 紳士的に頭脳的に出る手段がいくらでもあった筈だし(政治家になるとかね)
舞台の演出も手掛けているような人間が、垂れ幕の字を 判読不可能なくらいに小さく書き綴ったり、マイクを持たないで演説するなど
やはり これは「どれほど訴えても聞き入れられない・届かない」という結果にならなければまずい というシナリオの元に行われたものだと思いやす。

画像の字は、三島自身が この映画のために自ら書いたタイトルでやす。
なので 元のは白地に黒ね(◎o◎)b
あと、劇中の「至誠」という軸や 話の説明が巻紙で登場するとこの文も 氏が書いてるんでやすね。
この作品に対する並々ならぬ思い入れの強さがうかがえやすね。  



by ぼんぼちぼちぼち (2011-11-23 23:10) 

rantan-nya

小説は読みましたが、映画は見たことがありません・・
切腹の場面は、後々の自分の行動に既にある程度、予感のようなものがあり
こんなになるんだぞ~と自分に対する快感みたいのがあったのか?
なんてのは考えすぎですね^^;


by rantan-nya (2011-11-24 21:30) 

Huck_Finn

さすがですね。
小説も読んでないし、映画も見てませんが、スッと頭に入ってきました。
ぼんぼちぼちぼちさんの解説を読んでいると、本人の割腹があってはじめて、作品が完成した、そんな気になりました。
by Huck_Finn (2011-11-24 22:07) 

k_iga

自身の貧弱な肉体にコンプレックスを抱いていたナルシストが
ボクシングやボディビルにのめり込み、自己顕示欲を
文章ではなく、肉体(や制服)で発揮しただけですね。

by k_iga (2011-11-25 00:48) 

薔薇少女

>画像の字は、三島自身が この映画のために自ら書いたタイトル
憂のワカンムリの(愛という字に似てる)部分が割腹しているシーンに思えてしまいます?!
(変なコメントで済みません)
by 薔薇少女 (2011-11-25 09:24) 

夢旅人

国を憂うのか?政治家を憂えば良いのか?・・・世の中混沌です。
by 夢旅人 (2011-11-25 09:24) 

conta

ちょうど豊饒の海を読み終えた頃の事件でありましたので、強烈な印象が未だ残っています。
by conta (2011-11-25 10:20) 

ぼんぼちぼちぼち

みなさん

憂国忌の今日 こんにちはでやす(◎o◎)/

>切腹の場面は、後々の自分の行動に既にある程度、予感のようなものがあり
こんなになるんだぞ~と自分に対する快感みたいのがあったのか?
あっしもそうだったと思いやす。
あの場面を演じている時、最高に気持ち良かったんだろーなーと思いやす。
氏は写真のモデルとしても、割腹死を演じたり ラデイケの死を模したポーズ(両手を縛られ吊るされて 矢が身体に刺さってるの)を演ったりしてやすね。
あれも、カタルシス大放出だったろーなー と。

我々が 三島の人となりについて そしてその死について考察するとき、最も解り辛いのは
氏がマゾヒストであった ということだと思いやす。
大抵の人間にとっては、自らの命を絶つ というのは、辛く いたしかたのない果ての行為以外の何物でもないわけでやすが
氏にとっては、それが キラキラと輝く美学だったわけでやすね。
だから、国や天皇万歳云々というのは それに向かうための もっともらしく美しく演出する理由づけだった と。

大抵の場合は、疑似体験をすることで 自分の中での折り合いをつけられたり
老いや仕事の絶頂期からの下降とも 妥協して生き続けるわけでやすが
三島先生、妥協できなかったんでやすね。
その辺りも、人並み外れた感覚の持ち主でやしたね。


by ぼんぼちぼちぼち (2011-11-25 13:44) 

mwainfo

我々凡人の理解を超えたところで生きた三島由紀夫。東大で美学を専攻、自らの人生も「美学」であったのか。遠い日、自由が丘のボディービルジムで、一緒にトレーニングをしたことがあります。一緒に風呂も入りました。風呂上りに持参してきた紅茶を飲ませてくれました。このジムがつぶれて、その後、田園調布のボクシングジムへ通ったと聞きました。遠い日のふれあいです。映画の夫婦二人の自決は、野木希典の最後と重なります。残念なのは、覚悟の自決も、シビリアンコントロールも、その後の世界が変わらなかったことです。
by mwainfo (2011-11-25 18:17) 

DON

ご訪問&nice有難うございました~(笑
by DON (2011-11-25 22:40) 

ぼんぼちぼちぼち

mwainfo さん

三島と一緒にトレーニング&お茶・・・
貴重な体験をされたのでやすね。
筋肉隆々になってからの三島は、それはもう身体見せまくりでやしたね。

昨日、知人に「薔薇刑」を借り ひととおり目を通しやした。
素晴らしい出来でやすね。細江英公さすがでやすね。
映画「憂国」も、できれば、このくらい強いコントラストで撮ってたら もっと良かったのに・・・と思いやした。
非商業映画のスタッフだったら そう撮ってただろうにな・・・・
あっしが「憂国」について 唯一残念だと感ずるのは そのコントラストの甘さでやす(普通の写実の映画のコントラストで撮っちゃってる) 
by ぼんぼちぼちぼち (2011-11-25 22:47) 

ぼんぼちぼちぼち

DON さん

こちらこそありがとでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-11-25 22:49) 

yomogi

ぼんぼちぼちぼちさん、こんばんは。
はじめまして。yomogiです。
blogへのご訪問&niceありがとうございました☆

早速、ぼんぼちぼちぼちさんのblog、読み込んでしまいました!!
また、遊びに来ますので、今後ともよろしくお願いします。(^^)/
by yomogi (2011-11-25 23:16) 

ぼんぼちぼちぼち

yomogi さん

こちらこそよろしくでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-11-25 23:55) 

よいこ

血が出る話は苦手ですが、ちょっと見てみたくなりました。
by よいこ (2011-11-26 16:37) 

そらへい

三島由紀夫さんの美学に傾倒についていけなかった所があり
「憂国」の小説も映画も見ていないのでなんとも言えませんが
様式美の中に突き破る思いを発揮させたかったのではと思います。

バランスは居心地が良いですが、衝撃的なインパクトを与えるには
むしろアンバランスのほうが向いている気がします。
三島作品は多分計算されたものだと思いますが、
ドストエフスキーの小説のあるものなどは、決してバランスが良いとは言えませんが、読むものをグイグイと引っ張っていくエネルギーに満ちています。
by そらへい (2011-11-26 16:43) 

ぼんぼちぼちぼち

よいこさん

機会があったら是非~
DVDにもなってて、商業作品以外もあるような品揃えのレンタル店なら置いてありやす。
因みに 特典映像付きの二枚組でやす(◎o◎)V
by ぼんぼちぼちぼち (2011-11-26 20:52) 

ぼんぼちぼちぼち

そらへいさん

>様式美の中に突き破る思いを発揮させたかったのではと思います。
まさに そういう意図だったのだと思いやす。
で、その突き破り方が ちぃと常軌を逸してるんでやすね。
「・・・えっ?! これってメタシアター?!」って 瞬間 感じてしまうくらい。
でも、記事本文に書いたように、決してそれは鼻につく欠点だとは
あっしは感じやせん。
あっしが唯一、あの作品について残念に感ずるのは、
上のmwainfoさんへのコメントでも書いたように、白黒のコントラストの甘さなんでやすね、
あれだけ非具象で あーいうテーマの作品なわけだから、白が飛ぶことは 何もマイナス要因ではなく むしろ効果になりやすよね。
前衛作品を撮り慣れてるスタッフだったら そうやってくれてたでやしょうね。

ドフトエフスキー、恥ずかしながら きっちり読んだことはないのでやすが 仰っていること解りやす。
あっしが今まで小説でそれを感じたのは、梁石日氏の初期作品の文体に対してでやすね。
大型ブルドーザーで ガンガンガンガン!って来られるみたいな(◎o◎)b



by ぼんぼちぼちぼち (2011-11-26 21:35) 

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